退団する5人について
一昨日退団が発表された5人について。まず下田崇選手は94年に皆実高校からサンフレッチェ入りし、それから17年間広島一筋でプレーしてきました。GKになったのは高校生になってから。プロ入りしてすぐにU-19代表に選出され、翌年にはワールドユース・カタール大会にレギュラーとして出場しました。また翌年にはアトランタ五輪代表にも選ばれています。クラブでは前川、河野の壁が厚くなかなか出場機会が得られませんでしたが、前川の肩の故障により97年の終盤からレギュラーを奪取し、それから2007年までずっと広島の守護神として君臨していました。その驚異的な反射神経によりゴールをセーブする姿はサポーターから「神」と崇められるほどで、例えば2003年にはPK阻止率100%と言う記録を作っています。2002年にはJ2降格が決定した札幌戦で眼下底骨折により負傷、また2005年には小村と接触して右膝後十字靭帯断裂など大きな怪我も経験しながらその度に不死鳥のように復活するなど、怪我に強い選手でもありました。しかし2007年ごろから左膝の調子が悪く、2008年には試合出場ができなくなりついに7月に左膝軟骨損傷の手術。その後リハビリを続けて昨年復帰を果たしたものの、その間に台頭した中林や今季移籍してきた西川を越えることができず3シーズン連続で出場試合無しに終わりました。かつては「孤高の人」と呼ばれるほど練習中は近寄りがたい雰囲気だったそうですが、ペトロヴィッチ監督が言うように「素晴らしい人間性を持った人物」だったそうでチームを陰から支えていたとのこと。今後現役を続けるか、あるいは引退して育成部入りするかは決めかねているそうですが、いずれは広島で指導者として次世代の選手を育てることになるのではないでしょうか?
イリアン・ストヤノフ選手は2007年8月に広島と契約し、J1残留争いを続けていたチームに加入しました。しかし最初は戦術にフィットしなかったかMFとして起用されることが多く、その後リベロとしてプレーしたもののチームを救うことはできませんでした。そして「自分を苦しい時に拾ってくれたクラブを去るわけにはいかない」として広島に残り、天皇杯準優勝とJ1復帰に貢献。その後も読みの鋭い守備と最後方からの精度の高いロングパス、そしてコースを狙ったFK等で活躍しました。またストイロフ監督の就任とともにブルガリア代表にも選ばれてW杯予選などに出場していましたが、ただそれが彼の怪我やパフォーマンス低下を招いたのは確か。噂されるようなペトロヴィッチ監督との確執があったのかどうかは分かりませんが、クラブとしては年齢や年俸の事を考えて契約を更新しなかったのではないかと思われます。
桑田慎一朗選手は福山市出身で、「2.5冠」を獲得したユース黄金時代(2004年)にはトップ下としてプレーしトップに昇格しました。そしてルーキーイヤーにはリーグ戦8試合、ナビスコ杯1試合に出場してナビスコ杯ではゴールも記録。2007年にはほぼ毎試合ベンチ入りするなど飛躍が期待されていました。しかし昨年3月に左膝前十字靭帯断裂と内側側副靭帯損傷で1年を棒に振り、今季も出場機会はあったものの印象的な活躍ができないままに終わりました。広島での契約は終わりましたが、しかしまだ23歳。本来のトップ下だけでなくボランチもFWもできるユーティリティー性の高い選手なので、きっとどこかにプレーの場が見つかるのではないでしょうか。
篠原聖選手もユース出身で、横竹、丸谷、清水らと同じ2008年にトップ昇格しました。そして一時は「ペトロヴィッチ監督の期待が大きい」と言う報道もあったものの、次々と怪我に襲われたこともあってなかなかチャンスを得ることができず、公式戦出場の無いままに終わってしまいました。
橋内優也選手は東海大五高から2006年に広島入りし、恵まれた身体能力を期待されて1年目からチャンスを与えられました。そして2009年のナビスコ杯大分戦ではストッパーとして先発フル出場し、CKからプロ初ゴールも決めましたが、その秋にガイナーレ鳥取に期限付き移籍。今年は徳島ヴォルティスに期限付き移籍していました。徳島では開幕戦で途中出場してからずっと出場機会が無かったのですが、ここ最近の4試合は先発出場するなどようやくチームに馴染んできた様子。徳島へ完全移籍することになるのかどうかは分かりませんが、きっとどこかでプレーするチャンスはつかめるのではないでしょうか?
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