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2005.09.14

福田健二の「遺書。」

雑誌「ナンバー」は以前は頻繁に買っていたものの、いつしか書店で手に取ることも無くなっていました。しかしこの前、たまたま電車の待ち時間に駅の売店で手にとって、ある記事のためにそのままレジに直行しました。

その「ある記事」とは、小宮良之さんによる「遺書。」です。かつて名古屋に所属し、現在はメキシコ2部リーグでプレーしている福田健二選手に関するノンフィクション。福田の名前も、今は外国でプレーしていることも一応は知っていましたが、なぜその彼の記事のタイトルが「遺書。」なのか。それが何となく気になって、立ち読みしようかと思って軽い気持ちで手に取ったのです。しかし、その中身は非常に重いものでした。

「彼は今も”その日”の始まりを良く覚えている。当時、小学5年生だった彼は朝から違和感を感じていた。いつも窓を開けて手を振ることなどない母親が、自分の姿が見えなくなるまで手を振っている。胸騒ぎを覚えたが、それは少年特有の恥ずかしさにすり変わった。
『母ちゃん、もういいよ。恥ずかしいから』
 2限目だった。彼は『お母さんが怪我をした』と校長室に呼び出される。何が起きたのかは分からなかったが、恐ろしいことが起きた気がした。」

「『母ちゃんに会わせろ、オレが生き返らせてやる!』

 だが、遺体を拝むことはできなかった。母はビルの屋上に上がり、自らガソリンをかぶって火を放ち、そのまま飛び降りた。」

「福田健二あてに残された遺書には、たった3行だけ記されていた。

『好きなサッカーで
世界に胸を張れる
選手になってください』」

「その日から、彼はサッカーを通じて人生を自問自答しながら歩んでいくことになる。朝起きてから夜寝るまで、彼はサッカーを意識して生活する。そうでないと、自分がダメになる気がするのだ。たった3行だったからこそ、彼はそこにある意味をすべてくみ取ろうと躍起になった。」

福田選手が伸びてきたのは98年。リーグ戦33試合に出場して16得点を取っていますが、その中には10/3のサンフレッチェ戦のゴールもありました。ゴール前に飛び込むことを怖れない典型的なストライカー、と言う風情で、当時の名古屋の中では怖い選手の1人だった記憶があります。しかしその後五輪代表やA代表の候補にも選ばれるなど脚光を浴びたもののいつの間にか出場機会が減り、FC東京や仙台へ移籍。その後パラグアイに行った、とは聞いていたものの特別な思い入れなどがあるはずもなく、ああそうか、ぐらいにしか思っていませんでした。

しかしそんな彼の背後に、こんな歴史が隠されていたとは。どんな選手でも、どんな人間でもそれぞれの悩み、苦しみを抱えているものですが、それにしても福田選手の過去は衝撃的すぎます。

「そして福田は今でも母を思う。
『なんで母ちゃんはオレにサッカーのことしか伝えなかったのか、今も聞いてみたい。けど、自分の中にある情熱を誰よりも早く、優しく見抜いていた人だったのかなとも思います。サッカーがあるからこそ自分がある、だからナアナアにはできない。オレはそう言うふうに考えるようになりました。サッカーで全てがつながっているんです』
”けんぼー”
 母の優しい声で、遺書の意味を聞かせて欲しいと願う。それはかなわないと言うことを彼は知っているから、『好きな人がいて、楽しくやっているのが一番の母ちゃんの幸せなのよ』と子供の頃に言われた言葉を反芻する。そして、『今の自分を見てきっと喜んでくれるはず』と自分に言い聞かせる。」

この記事、全てのサッカー選手とそのファンにお勧めします。

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コメント

重いですね。。。僕には耐え難い話です。

投稿 しんむー | 2008.03.04 22:33

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