ジーコさん辛くないですか?
細かいことは抜きにして、「神様」とまで呼ばれた人があれほど苦しげな表情でピッチを見つめる姿は、少々辛いものがあります。仮にここで辞めたって過去の栄光が傷つくことは無いのですから、無理に代表監督を続けなくてもいいんじゃないか、と思います。でないと、ジーコさんも日本のサッカー界も本当に傷つくことになるんじゃないかなぁ。
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細かいことは抜きにして、「神様」とまで呼ばれた人があれほど苦しげな表情でピッチを見つめる姿は、少々辛いものがあります。仮にここで辞めたって過去の栄光が傷つくことは無いのですから、無理に代表監督を続けなくてもいいんじゃないか、と思います。でないと、ジーコさんも日本のサッカー界も本当に傷つくことになるんじゃないかなぁ。
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Jリーグの勝敗を予想して賞金が当たる、と言うtoto。サッカー人気向上の起爆剤として、またスポーツ関係施設の充実のためにと言うことで期待の声も多かったように思います。しかし、現実はどうだったか。totoゴールの導入やコンビニでの販売などの改善策が施されましたが、売り上げはじりじりと落ちているとか。今年から1等当選金の最高額が2億円になりましたが、開幕戦の売り上げ(約5億円)は昨年に比較して2億円近く落ちたそうです。今週のサッカーダイジェストの記事には「試行錯誤をつづけるなかで、必ずや人気回復にもつながるはず」と書いていますが、やはり出発点から間違っているのではないかと言う気がしてなりません。
そもそもこのtotoがJリーグ人気のアップにつながったのかどうか、と言うとどうなんでしょう?確かにスポーツ新聞などで取り上げられることは増えたかもしれませんが、だからと言って観客増につながった、とはとても思えません。toto導入が議論されていた98年前後は確かにJリーグ人気に陰りが出てきた、と言われていましたが、その後状況が変わったのは別にtotoのおかげではない。むしろワールドカップの開催や降格と昇格の争いなど、サッカーそのものの魅力が浸透してきたから、と言って良いのではないでしょうか。
またスポーツ関係への助成に使われる、と言うお題目もどうだったか。toto導入の最初の年こそそれなりの助成が行われたそうですが、昨年は売上減からかなり助成が削られた、と聞いています。スポーツ関係への助成は「公共の福祉」に属するもの。つまり本来なら税金から手当てして当然のもので、それをtotoの売り上げに依存させると言うやり方はおかしいでしょう。
更にギャンブルとしての側面はどうか。確かに資料を集め、勘を働かせ、それによって億単位の儲けが入る可能性は魅力的でしょう。でも冷静に考えると、儲かる可能性は配当金を売り上げで割った割合(期待値)で決まります。totoの場合、その期待値は47%。競馬などの期待値は75%だと言われているので、それに比べると儲かる可能性は半分近い、と言って良いのです。言ってみれば、胴元が半分以上テラ銭に取ることが分かっている賭場みたいなもの。ギャンブルとしての面白みは、競馬の半分程度だと言っても良いのではないでしょうか。
私はtotoの導入前に「反対である」との立場を表明していたのですが、それはやはりこれらの問題点と、更にtoto関連の事業が文部省の天下り先になるだろう、との懸念からです。これが本当にその通りになったのかどうか、についての検証はしていないのですが、少なくとも今のところの流れはtotoの将来が明るくないことを示しています。そもそものお題目であるスポーツ振興に使われた額(確か30〜60億円)なんて国の予算全体からすれば微々たるもの(例えば、文部科学省全体の予算の0.1%以下)なんですから、いっそのこと徹底的にギャンブルに徹するか、あるいは止めてしまった方がいいんじゃないか、と思います。
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今日は広島県立高校の合格発表の日。息子の友人たちの多くはこの日をドキドキしながら迎えていたようです。東広島市周辺にはいくつかの私立高校の他に今年開学する中高一貫の「広島高校」もできましたし、また広島市内の高校を受ける子どももいます。ですからほとんどの生徒は県立高校の発表前にどこかの合格通知はもらっていたようですが、それでもやはり県立を本命と考えていた多くの子どもにとっては、一つの節目を迎える事になりました。
大人と子どもの境目の、15歳の春。受験という一種の通過儀礼を経て一歩大人への階段を登っていくわけですが、その同じ年齢の森本貴幸選手が、この土曜日にヴェルディからJリーグデビューを果たした、と言うニュースには驚きました。私はダイジェストの映像を見ただけですが、とても中学を卒業したばかりとは思えないような精悍な面構え。体格的な不利を感じさせないほどのスピードとアグレッシブな姿勢で、大人の中ではっきりとした存在感を見せていました。この年頃の子どもは、成長に大きなばらつきがあるものです。だからこの活躍だけで「天才」だとか、将来を約束されているような表現はしたくはないのですが、しかし彼が見せた自分自身の価値、才能の輝きは生半可なものでは無いことは間違いないでしょう。子どもの才能を伸ばすか矯めるかは本人と、そして周囲の大人次第。彼の才能、と言うよりもその洋々とした可能性を、ぜひとも伸ばして欲しいと思います。
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ベトナム話のネタはまだあるのですが、飽きた人もいるんじゃないかな、と思うのでちょっと寄り道。
昨日のアテネ五輪予選のUAE戦ですが、宇都宮徹壱さんの「運とフィジカルと精神力の強さがもたらした勝利」と言うのはまさにその通りだと思います。あれだけ決定的ピンチがありながら無失点で凌いだことや相手が怖い選手を交代してくれたことは運が良かったと言って間違いないし、そのおかげで勝利を手にすることができた、と本当に思います。
この「運」と言われるもの。あんまり重視しすぎるとオカルトになってしまうのですが、それにしても人生のあらゆる局面で運の良し悪しが出てきます。SF作家のラリイ・ニーヴンは代表作の一つ「リングワールド」の中で、人類の特質として「運の良さ」がある、と言う話を作っています。その幸運の情報は遺伝子(「ティーラ・ブラウンの遺伝子」と名付けられていた)に組み込まれていて、どこかに完璧に幸運な一族がいる、と言う話でした。確かに人類の、有機物のスープの中から生命が誕生し、単細胞生物から多細胞生物に進化し、知性を持って文明を作るに至ったと言うプロセスは、必然を越える偶然があったとしか思えないものがあります。ある個人が、民族が、国家が。あるいは人類全体が幸せになれるかどうかは、確かに「運」と言う名の何らかの偶然に支配されているような気がしないでもありません。
ただ、だからと言って幸運を期待して何もしないでも良いか、と言うとそんなことは無いでしょう。U-23代表が運を引き寄せて勝つことが出来たのは、単に座視して待っていたからではなく、それに向けて全力で準備して戦ったからです。運をつかむ前提として、「フィジカルと精神力の強さ」があったのです。「天は自ら扶ける者を扶く」と言いますが、努力があってこそ幸運が付いてくるものです。ティーラ・ブラウンの遺伝子が本当に存在するのかどうかは分かりませんが、少なくともそれは「努力する」と言う特質を持つ遺伝子とセットになって発現するのではないか、と言う気がします。
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