2005/02/22

もうもうの煙が好きな人

 先日の新聞報道によると、JR西日本の社長さんが「もうもうとした煙は大変だなと感じるが、あれがいいとおっしゃる方もいるだろう」と発言して、全面的な禁煙の導入に消極的な姿勢を示したそうです。

 言葉、と言うものは前後の脈絡が分からないと正確な意味はつかめないものなのでこの社長さんがどう言う意図で発言されたのか知りませんが、「もうもうの煙」が好きな人って、本当にそんなにいるのでしょうか?

 もちろん、世の中に喫煙者は大勢います。ある調査によると喫煙者の割合は男女を通じて40%ほど。「他人のたばこの煙に迷惑を感じた経験がある」人の割合が65%程度と言うことなので、10人中4人は煙草についてあまり気にしていないことになります。

 だけど、喫煙者でも他人の煙草の煙は嫌だ、と言う人は結構居るわけです。特にJR車両の喫煙車は、座った人がようやく喫煙者の楽園を見つけたぞ、とばかりに一斉に吸い始めたりするので、満員の場合なんかだったら車内が煙って向こうの端が良く見えないほど。それが嫌で、座席は禁煙車に取るけどタバコを吸うときだけ喫煙車に行く、と言う人までいます。

 それが証拠?に、新幹線で座席を検索すると先に埋まっていくのはいつも禁煙席。「もうもうの煙」が好きな人がある程度以上いるなら、なんでそう言うことになるんでしょうね?

 飛行機の客室が全面禁煙になってからかなりの時間が経ちますし、他の公共機関でも全面禁煙を採用するところが増えています。10時間近いフライトの間喫煙を我慢させる交通機関があるわけですから、仮にJRが全面禁煙にしても問題があるとは思えません。特に喫煙車は掃除のコストも余計にかかっているそうですし、コスト削減の観点からもJR西の社長さんにはぜひ考え直してもらいたい、と思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2004/02/19

公務員宿舎の値上げ

ちょっと前のニュースなのですが、財務省は公務員宿舎の家賃を平均25%、都心部では最大43%値上げすることを決めたそうです。また駐車場代も2倍以上の引き上げになるとのことです。

テレビのニュースを見ていると、都心部にあって格安で借りれる公務員宿舎がある、と批判的に取り上げられることが多いようです。また財務省も今回の値上げとして「民間の賃貸住宅に比べ極めて格安との指摘が強い」と言うのを理由に挙げています。確かに宿舎は国民の税金で作られた財産。これを安く貸すのはけしからん、と言うのも分かります。でも普通の公務員宿舎ってそんなにいいものなのでしょうか?

実を言うと私もつい数か月前まで、公務員宿舎に住んでいました。通勤に1時間以内の距離で、家賃は1万円以下。一見誰でも望んで入りたいのではないかと思うのですが、実際は違いました。昭和40年代に作られた建物は一度も改装されたことがないようで、シャワーは付いてないしトイレは和式だし窓のサッシはアルミではなく鉄製です。それに台所と風呂の排水の流れが悪かったのですが、クレームを付けても大家さん(つまり日本国、と言うことですが)は「自分で直せ」としか言いません。なんか、子ども時代の生活水準に戻ってしまったような感覚に襲われました。

私は単身赴任だったので何とかそれでも耐えていたのですが、いざ家族が引っ越ししようと言う段階になったらとてもとても。そういう目でまわりの住人を見てみると、みんな若いうちは耐えていても、子供が大きくなると出てしまうとのこと。実際、そんなに安いにもかかわらず部屋の6割ぐらいしか埋まっていないのです。これで宿舎費を値上げしたら、借りる人がもっと減ってしまうのは間違いないでしょう。となると、せっかくの国民の財産を無駄にしてしまう、と言うことになりそうなのですが...

世間の人が公務員を見るときには、どうしても「税金を無駄遣いしている」と言う目になってしまうのはある程度は仕方のないことだ、とは思います。でも、ちょっとニュースを見ればもっととんでもない無駄遣いがゴロゴロしています。例えば今日の話題になった新生銀行の「救済」には、なんと8兆円もの税金が注ぎ込まれたとか。そしてこれでアメリカ資本のリップルウッドが大儲けできたとか。8兆円と言えば、私程度の公務員(国家公務員全体の平均給与よりは多めにもらっているはずです)10万人を10年間以上雇える金額ですから、公務員宿舎の値上げぐらいじゃとても対抗できないはず。マスコミも公務員宿舎の家賃程度の事で叩くなら、もっと他に大事なこと、問題にすべき無駄遣いがあるのではないあ、と思います。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2004/02/17

喫煙に関する憂鬱

今日は夕食を食べに、銀閣寺近くの小さなお店に行きました。アジアンテイスト漂うちょっといい感じのお店で料理も美味しく、ああいいお店を見つけた、と思ったのですが、しかしじっくり腰を落ち着けることなくすぐに出てきてしまいました。理由は、隣に座った人がスモーカーだったから。私は少々のタバコなら我慢するのですが、その人は私のとなりに座るなり吸い始め、1本吸い終わるやいなや次のタバコに火をつける、と言う感じのチェーンスモーカー。さすがの私も耐えかねて、と言うわけです。

昨年の「健康増進法」の施行によって公共の場での喫煙が制限されるようになり、喫煙者は肩身の狭い思いをする事の多い時代になりました。私は「吸わない人」なので彼らの気持ちが分かる、とは言いませんが、しかし喫煙者は一種の薬物中毒です。おそらく、吸うことが良いことではないと自覚しながら吸っている人も多いと思いますし、実際私の知り合いの喫煙者の多くは、極力人前ではタバコを吸わないようにしているようです。

その反動なのかどうか。公共の場の片隅にある喫煙コーナーはいつも煙でもうもうとしています。また新幹線などの喫煙車両では、座席のあちこちから紫煙が立ちのぼってむせかえるばかり。いつも人前で吸わないように気をつけている喫煙者が、やっと解放されて思う存分吸う事ができる、と言うことなのでしょう。

禁煙の場が広がることで、喫煙者からの不満の声が上がることも多いようです。しかし工場の煙突から白煙を上げる事ができなくなってしまった(仮にそれが無害な水蒸気でさえ)ように、人前でタバコを吸える場所はこれからもどんどん少なくなっていくでしょう。そしてその副作用として、限られた喫煙可の場所での煙の密度はますます上がるのではないでしょうか。つまり件のお店のように、禁煙でない店だと座った途端に安心してタバコとライターを取り出すお客は増えるのでのではないか、と思います。もしそうなったら、そういうお店には行きたくないという人も多いはず。受動喫煙を強いられるその他の多くの非喫煙者と一緒に、私もボイコットしちゃいます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2004/02/06

国立大学はどこへ行く

この4月から、国立大学は「国立」ではなくなります。いや、一応「国立大学法人」と言う名前は残るのですが、いわゆる国の大学ではなくなります。これまでは国が人件費も運営経費も全て責任を持っていたのが、これからは違う。働いている人も国家公務員ではなくなって、「法人職員」と言う労働者になります。その影響で大学の学内はいろいろと大変なのですが、でもそう言う「国立大学の行き先」は、世間にちゃんと知られているのでしょうか?これから国立大学を受けようとしている受験生や、その親たち。あるいは将来そうなる可能性のある国民は、みんなこのことを知っているのでしょうか?

昨年国立大学を法人化する法案が出たときは、マスコミでは「象牙の塔が開かれる」と言う論調が多かったように思います。国立大は閉鎖された社会で、教官はその中でぬくぬくと暮らしている。それが民間並の競争社会の中に放り込まれて活性化するだろう、国民の税金が効率的に使われることになるだろう、と言う意見が多かったような気がします。でも実際にはそんな理由じゃなくて、単に政府が公務員を減らしたい、教育や研究に使う金を減らしたいがためにこう言う「改革」をした、と言うことがこのところどんどん明らかになって来ているように思います。

「法人」になるとは言え、国から独立できるかと言うとそれはほとんど無理です。もし本当にそうしようとしたら、授業料や附属病院の受診料を大幅に値上げするしかないわけで、それはそう簡単ではありません。結局のところ国からの交付金が頼りには違いなく、そうするとお金を出してくれるところの言うことを聞かなくてはなりません。その上、国にとってはこれまで大学に対して責任があったのが、これからはそうではなくなるわけです。国の気に入らないところには金を出さなくてもいいわけです。となると、これまで以上に国(文部科学省や財務省)による大学に対する「縛り」がきつくなるのは当然だし、実際に急速にそのように動いています。

その実例は山ほどあって、例えば非常勤講師の採用を認めないとか、あるいは運営費の一律カットなど事例はたくさんあるのですが、「言っていることとやっていることが違う」例の一つが、大学間の異動が「転勤扱い」ではなく「新規採用扱い」にされようとしている事です。これは退職金を安く抑えようとする意図なのだと思いますが、そうすると誰も大学を移らなくなってしまうでしょう。文部科学省はこれまで「競争を煽って活性化するためには異動を増やす必要がある。そのために任期制を導入する」等と言っていたのですが、しかしこのことが逆効果になることは明らかです。

その一方で、大学には「理事」と言う名の高給ポストが大量に作られます。何のためかと言うと、要は官僚の天下り先です。これまではほとんど天下り先が無く旨味の少なかった文部科学官僚にとっては、嬉しくて仕方のない「改革」なのではないでしょうか。

資源少国・日本にとって、財産は「人」だったと思うのです。高い教育水準とハイレベルの科学と技術があったからこそ、世界の中で生きてこれたのだと思います。しかし今回のこの国立大学の改革は、この財産を根底から切り崩すものではないか、と思うのです。経済原理と官僚のワガママに従属するための改革。大学は、そして日本はいったいどこに行こうとしているのでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2004/01/31

ボウリング・フォー・コロンバイン

「親子でプロレスごっこをしていると、警察に通報されるんです。」

10年ほど前に渡米した時に、現地在住の日本人から聞いた話です。アメリカでは、大人が子供に危害を加えているように見えたら即座に「虐待」と見なされる、と言う事でした。

これを聞いた当時、私はアメリカは日本とは違うのだな、と思ったものです。しかし昨今、日本でも子供の虐待のニュースは珍しいものではなくなりました。戦後60年にわたってアメリカを真似し続けて来た日本の社会は、この点でもしっかりと後追いしているようにも思います。

昨年アカデミー賞を受賞したドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」(今日WOWOWで放映していた)によると、アメリカで銃犯罪が多いのは、銃の所持が自由だからと言うだけではないのだそうです。テロや犯罪に対する国民の恐怖感を煽る政策、そしてマスコミ報道があるからだ、と言うのが作者のマイケル・ムーアのメッセージでした。

日本の社会は、もちろんアメリカとは歴史的にも文化的にも違います。だからすぐにアメリカのように、銃犯罪が多発する事はないと思います。しかし、いつまでも今までのような「アメリカ追随」を続けていたら、コロンバイン高校のような悲劇が起きる可能性は十分にあるのではないでしょうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)