2017/02/28

さよならGPZ1100

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私がバイクに乗り始めたのは学部1回生の時。1980年のことなので、もう37年も前になります。その時に個人売買で買ったのは「ゼロハン」(当時は「原チャリ」とは言わなかった)のHONDA MB5だったのですが、それ以降DT125、Z250FT、VF400F、VF250F、SRX600と中古ばかりを乗り継ぎました。そして広島大学の助手だった1998年に買ったのがKAWASAKI GPZ1100。広大近くの「フラッグ」というショップで、初めて新車を購入したのでした。

当時はもう結婚して子供もいたのでツーリングなどで遠出をすることはなくなっていたのですが、しかしそれでも単身赴任の時には京都と広島の間を往復したり、通勤のついでに京都市内を巡ったり、そしてつくばに来てからは東海との間を行ったり来たりしつつ19年乗り続けました。その間の走行距離は約35,000km。年平均2,000km弱と言うのは決して多くはないのですが、それでもきちんと整備しながらコンスタントに乗り続けて来ました。

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しかし転機となったのは昨年の9回目の車検の時。バイク屋さんから「次の車検ではだいぶ手を入れないといけないかも」と言われたのがきっかけでした。実はそのちょっと前に久々のワンデーツーリングをしたのですが、それが思ったほど楽しめなかったと言うか何と言うか... とにかくこれまで楽しいと思っていたバイクを、あまり楽しめていない自分を発見してしまったのです。

でもまあ考えてみれば当然で、40年近くも乗っていれば飽きもすると言うもの。その上年を重ねて体力が落ち、気力も減退して我慢がきかなくなってきた、と言うことになれば、バイクに乗ってしんどい先に見える楽しさなんて、感じられるはずもありません。

と言うことでついに先日、19年乗ったGPZ1100を手放すことを決めました。車検が切れたからの方が良いかとも思ったのですが、でも逆に車検が切れれば売りにくくもなるかも知れないので、今がタイミングかと思ったわけです。

で、ヤフオクに出したところ、ちゃんと買ってくれる人が現われました。競りは寝ている間に進んでいたようなのですが、最初に設定した金額よりも多少高めで無事決着。落札してくれた方は北海道の人だったので、運送業者に引き取られていきました。

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19年ともに走ってきた愛車でしたが、ここで欲しいと思ってくれた人の元に行くのはきっとバイクにとっても幸せなはず。寂しいと言うよりもむしろ晴れ晴れとした想いで、心の中で「ドナドナ」を口ずさみながら見送りました。

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2014/06/17

はじめてのコンタクトレンズ

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私が眼鏡をかけ始めたのは、確か中学生の時。その時以来約40年間、昼間は眼鏡をかけて寝る時は外す、と言う生活を続けてきました。その間に眼鏡はいくつも変えてきたものの、どんな眼鏡でも顔の一部みたいなもの。眼鏡があることは、大げさに言えば人生の一部でした。

ところが最近、ふと思い立ってコンタクトレンズを作ってみました。理由は一応サッカーなどのスポーツのため、ということだったのですが、1回ぐらいコンタクトを使ってみたかった(と言うより、使ってみようと思いついた)と言うことでした。

で、分かったのはコンタクトがいかに良いか、ということ。以下にいくつか理由を挙げます。

1) フレームが無いので視野が広い。(コンタクトしてみるまでは忘れていた)
2) マスクの時に曇らない。(まだやってないけど。もちろん暖かい部屋に入った時も)
3) 風呂の中でも使える。(これもまだやってないけど)
4) 運転中にサングラスを付けたり外したりできる。(度付きサングラスは持ってるけど外したら運転できない)
5) そもそもいろいろなサングラスを使える。(度付きサングラスはレンズの形に制限あり)

弱点は、と言えば付けたり外したりが面倒なこと。特に外すのがまだ下手なので、場合によってはかなりの時間がかかってしまいます。でもまあ慣れればスムーズに行くはずだし、ずっと使うつもりなら別のタイプもある。齢50を過ぎて、何だか人生が広がったような気がします。

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2011/05/07

Nike+センサーの電池交換

私がランニングを始めたのはダイエットがきっかけだったのですが、「はまった」と言う状態になったのはiPod nanoとNike+ sensorのおかげです。自分が走った距離とペースがリアルタイムで分かり、ネットにアップして集計され他の人と競争することもできる、と言うのはモティベーションを上げます。昨年の正月早々に購入して翌日からスタートしたのですが、最初は月間130km程度だったのが徐々に増えて行って9月には200kmを突破。途中からフルマラソン出場を目標にしたこともあって、今や私の中では「どこかに行く時に持って行くもの」としては4位ぐらい(因みにこれより上に来るのは財布、携帯、MacBook Air)に入る重要なアイテムとなりました。

このようにとても重要かつ役に立つNike+ sensorなのですが、困ったことによく壊れるのです。とにかく前日まで使えていたのに、突然iPodから「センサーが見つかりません」と言われる、と言う症状が良く現れるのです。私自身が使っているセンサーが壊れたのは1度だけで、しかも使い始めて1ヶ月ぐらいだったのですぐに購入した電器屋で交換してもらったのですが、大変だったのは親が使っていた方。ウォーキングを趣味にしているのでちょうど良いかと思ってプレゼントしたのですが、1年のうちに3回ぐらい交換(しかも1度は僕が銀座のアップルストアまで持って行って見てもらった)するはめになりました。このセンサー、リセットスイッチがあるだけでインジケータも無いので壊れているのかどうか良く分からない。反応しないのは、レシーバやiPodの故障の可能性もあるわけです。だからトラブルの時にどれが悪いのか調べるのも一苦労。このガジェットはAppleやNikeらしい、センスのある商品だと思うのですが、この壊れやすいのだけは何とかして欲しいものです。

とか言っているうちに、最近自分が使っているセンサーがまたまた反応しなくなりました。使い始めて1年以上が過ぎていると言うことで、原因はたぶん電池切れ。本来、電池切れしそうな時には警告するはずなのに無かったのは解せないのですが、しかしそこも「仕様」と言うやつなのでしょう。Appleに送ればまた交換してくれるのかも知れませんが、保証期間が過ぎているのでどうせ有償だろうし、待たされるのも嫌なのですぐに新しいのを購入に走りました。

で、ここからが本題。僕がいかにしてNike+センサーの電池交換をしたか、と言う話です。電池交換自体は既にやった、と言う人が何人もいるので、その経験を参考にさせてもらいます。

Nike+センサーのバッテリー交換 その2
Nike+iPod Sensor [MA368J/E]が電池切れ その2 その3

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先人に従ってまずはカッターの刃を使って分解を試みます。が、これが堅いのなんの。カッターナイフでは力が入らないので、1998年にフランスに行った時に買ってきたW杯ロゴ入りナイフ等も使いながらごりごりやったのですが、なかなか穴が開きません。またある程度隙間ができたところにマイナスドライバーを突っ込んでこじ開けようとしても、全く歯が立たず。止むなく次の手として、糸鋸を使いました。

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さすがに素手で保持して糸鋸でごりごりやるのは危険なので、しっかり工具で押さえて作業。その結果、ようやく開けれそうな感じになってきました。

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隙間にマイナスドライバーを突っ込んでこじ開けるのも大変だったのですが、とにかくようやく電池と回路が出てきました。

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時計ドライバーで基板を外し、両面テープでケースに付いていた電池をひっぺがして、電極はラジオペンチでつかんで強引にはがします。おかげで電極はロール状に曲がってしまいました。

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念のため電池の電圧を測ってみたのですが、3.02Vあって一応CR2032の定格電圧が出ています。もしかして電池が原因じゃなくて、いつものセンサー故障だったのかな、と一瞬思ったのですが、でもリチウム電池って放電末期まで電圧降下が少ないのが特徴なので、そのせいかも。だいたい今更こんなになったセンサーをAppleに送っても修理してくれるはずがないので、とにかく100円ショップで買ってきた新品電池(一応Made in Japan)に交換しました。

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電池の周囲のプラスチックの輪をはめ、電極を平らに直してセロテープで固定してケースに戻したところ、何と電線が切れてる!一瞬焦ったのですが、ちょうどハンダで付いていたところだったので付け直しました。

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無事組み上がったNike+センサー。乱暴な作業の結果見た目はぼろぼろですが、ちゃんとiPodは認識してくれました。やった!

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2011/03/28

黙って仕事しな

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2011/03/17

震災から1週間

先週の今日は首都大学に行ってセミナーやGranekとのdiscussionをしてきたのですが、それから1週間はこれまでとは全く違う怒濤の展開でした。

まず震災当日は東京で会議があったのですが、ビルの12Fで感じる地震は他とは全く違う感覚でした。ビルごとゆらりゆらりと揺れてまるで船に乗っているよう。不思議と怖さは感じなかったのですが、それはむしろここで何かあってもどうしようもない、と言う諦観に近いものがあったのかも知れません。

大きなことが起きているとの予感があったので会議は即座に中止され、僕は他の人とは離れてまずは新橋駅に行きました。すると避難してきた人でSL広場はいっぱい。情報が分からないので、閉店中の喫茶店の店内で流れるニュース映像を外から眺めて事態の把握に努めました。その中で突然、「震源は茨城県沖」と言うテロップが流れたのには驚きました。東北が震源と言っていたはずなのに、なぜ変わったのだろう?あの時は、まさか大地震が3連発で襲ってきたなどとは想像すらしませんでした。

新橋駅前の巨大スクリーンは、当初は宣伝ばかり流していて何の役にも立たず問題だな、と思ったのですがそれはさておき。1時間ほど経っても山手線が復旧する気配はないので、とりあえずは東京駅に歩いて行ってみました。高速バスの状況を見たかったのですが、どうやらそちらも動いていないので更に秋葉原へ。しばらく様子を見たもののTXは当日中の復旧は無いとのことだったので、その辺で腹ごしらえをして歩いて北に向かいました。そして10時過ぎに金町の親戚の家に着いて1泊。翌日はノロノロ運転&ぎゅうぎゅう詰めの常磐線で取手まで行き、最後は臨時バスでつくばセンターまで移動してほぼまる1日かけて帰宅しました。

帰ってみると地震で落ちて割れた食器や本が散乱して、自宅は足の踏み場もない状態。また恐怖の一夜を過ごした家族は余震に脅えていて、すぐにでも逃げ出したいような様子を見せていました。更に地震当日からの断水でトイレにも入れないと言う状況だったので、妻と息子は京都に避難して行きました。

日曜日の夕方にはようやく落ち着いたのでKEKに行ってみると、ちょうど震災対策本部会議が行われるところだったので、そこに出席しました。そして加速器などのダメージが大きそうであることや、関東地域の電力事情に配慮して必要最低限の電気供給で我慢すること等、厳しい状況にあることを認識しました。

震災から1週間が過ぎて、私の周辺では徐々に復興に向けて進みつつあると思います。つくば市は水道も通ったし、計画停電からも免除されているので普段の生活に大きな不都合はありません。もちろんスーパーにはモノは少ないし、ガソリンも入れれない等不自由なことはあるのですが、クルマが使えなければ徒歩や自転車で移動すればいいし食べ物が少なければ粗食で耐えれば良いわけです。KEKは水も電気も不自由で、被害を見積もることもままならない状態です。でも、住むところも無ければ寒波を凌ぐ暖房機器もない三陸や北茨城に比べれば遥かにまし。今まで会議、会議で追われていた日常は終わり、もう少し人間らしい、あるいは研究者らしい頭の使い方ができるチャンスなのだ、とポジティブに考えることにしています。

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2007/12/23

久々の銀塩写真

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デジタル一眼レフを手に入れてから銀塩写真を撮影する機会が激減していたのですが、ふと思い立ってフジフィルムの「フォルティアSP」と言うリバーサルフィルムを使ってみました。デジタル一眼のAF&AEに身体が慣れてしまっていたので久々のマニュアル撮影は不安だったのですが、長年やっていただけあって意外に上手く撮れていたみたい。またフィルムのスキャンもEPSONのPM-A900と言う複合機で割と簡単に、かつ美しくできました。

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2006/04/16

久々の晴れ間

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 今週はずっと天気が悪くてほとんど太陽を見ることが無かったのですが、今日の夕方久々に太陽が顔をのぞかせて虹まで出ました。例によって写真をいくつかFlickr!に掲載しています。

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2006/01/16

友の死

友、と言うよりは「先輩」なのですが、私が学生時代から良く知っているOさんが今日の夕刻亡くなりました。享年(私の記憶が正しければ)45歳。まだ1歳の子供を残しての、早すぎる死でした。

Oさんと知り合ったのは、たぶん私が大学の2回生か3回生の時だったと思います。皮肉屋で、ペシミスティックな人、と言う第一印象だったのですが、しかし実際には社会のことや周囲のことを真剣に考えていて、他人のために働くことを厭わない人でした。大学生協や学生自治会の活動などをしながら、学問の事よりも世の中の矛盾について考えているような人でした。卒業後はとある京都の私学の先生になって、高校生に物理を教えていました。卒業後に京都を離れた私は年賀状をやり取りするだけの関係だったのですが、数年前にようやく結婚した、と聞いて「ああ、あのOさんにもようやく幸せが来たか」と思ったのを、ついこの間のことのように覚えています。

しかし、その頃からOさんの身体は徐々に病魔に冒されていたのでした。肝硬変。肝細胞が再生機能を失って、肝臓が徐々に役に立たなくなって行く病気です。たいてい慢性肝炎から変化することが多いのだそうですが、Oさんは原因不明だったとのこと。何年かはだましだましやっていたものの、ついに昨年、務めていた高校を休職して治療に専念することになりました。

「沈黙の臓器」と言われる肝臓は、自覚症状が出てから治すのは非常に難しいところです。Oさんも治療法を探して、あちこち転院もしていたとか。そしてついに生体肝移植以外は方法がない、ということになって、京大病院に移ってきたのが昨年の8月のことでした。

生体肝移植はドナーがいればすぐにできるか、と言えばさにあらず。肝臓による解毒機能が低下していたOさんは、感染症に罹ってなかなか手術にかかることができませんでした。手足のむくみ。腹に水がたまる症状。黄疸。肝硬変に伴う様々な症状が出る中で、何とか手術まで頑張ろうとしていたOさん。9月の時点で「あと数週間しか保たないかも」と言われながら2か月間頑張って、ようやく11月に手術にこぎつけたのです。

幸い、手術はドナーとなった奥さんも含めて成功しました。Oさんもいくつかの峠を無事越えて、着々と完治への道を歩んでいました。リハビリを続けながら、移植した肝臓が定着するのを待っていました。しかし、ここでもやはり感染症が彼の行く手を阻みました。その上、脳梗塞を起こしてしまって半身が動かなくなり、最後は意識もはっきりと戻らないままに旅立ってしまいました。

移植と言う治療は、再生機能を失った肝臓を治すには最後の手段、なのだそうです。しかし他人の臓器を身体に入れるということは、新たな戦いを開始すると言うことでもあります。だから、移植医療が大変なのは、手術前よりもむしろ手術後。「こんなに手術後が大変だとは思わなかった」と感想を漏らす患者さんも多いのだそうです。ところが私はそんなことは知らなくて、Oさんはすっかり良くなった、と思い込んでいたのです。

今日の夕方、私はたまたまOさんの事を思い出して、ああ久しぶりにお見舞いに行こう、と病院に足を向けました。しかし、それはわずかに遅かった。私が着いたときには、Oさんは既に逝ってしまった後でした。思えば私がOさんのところに行こうと思ったタイミングは、ちょうどOさんが旅立とうとした時だったのかも知れません。最近顔を出していなかった私に対して、たまには来ないといけないよ、と呼び出したのかも知れません。手術の時を待ちながらも、昔と全く変わらない口調で話していたOさん。表面には出さなかったものの、きっとずっと苦しくて、辛い思いをしていたに違いありません。これまでずっと頑張ってきたんだから。自分と家族のために耐えてきたんだから。あとはゆっくりと、お休みください。

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2005/09/29

秋風邪

先週末からずっと、風邪でひどいめにあっています。最初は喉がいがらっぽいな、と言う感じ。こりゃ風邪だな、と思ったので日曜日に「早めのパブロン」を飲んで収めようとしました。一応効いたみたいで症状は治まったのですが、それがかえって悪かったのかも。翌朝には悪化していて、発熱していました。

月曜はどうしても外せない用事が2つあったのですが、その一つは代理を頼んで午前中は身体を休めるのに専念。その一方でもう一つの用事のための準備を進めて、気力で熱を下げて午後から出勤しました。本当は医者に行くべきだったのですがたまたま保険証が書き換えのため手元になく、面倒なのでパブロン。火曜日も仕事があったので気力で出勤して、何とか抑え込んだかに見えました。

が、やはりそれは甘かった。昼から喉が痛くてたまらなくなって、大学の保険管理センターに行ったものの「定期健康診断」のためにお休み。だんだんヤケクソになって、勢いで教室のバーベキューに行ったのですが、それが止めを刺したかも。水曜は喉は痛いわ熱は出るわで、うんうんうなりつつ一日中寝てました。その間、当座の自費負担で医者にも行った甲斐があったかようやく今日になって良くなって来て、午後から出勤して仕事してきました。医者からもらった薬を飲んで、このままおとなしく身体を休めれば、何とか復活できそうです。

普通「あきかぜ」と言えば、残暑の中でも秋を感じる風のこと。秋に引く風邪、のことではありません。夏風邪はバカしか引かない、とは言いますが、秋風邪はどうなんでしょう?少なくとも私の周りに聞いたら、最近風邪をひいた人が多い様子。残暑でほてった肌に冷たい秋風を当てると、身体が驚いて風邪を引いてしまう、と言うことなのかも知れません。

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2005/08/09

白馬に来ています

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一昨日から出張で白馬に来ています。科研費特定領域「水と生体分子が織り成す生命現象の化学」の合同班会議で、公募研究でお金をもらっている教授の代理出席です。生体で非常に重要な役割を果たす水が分子レベルでどのように関係しているのか、と言う問題は古くから認識されているにも関わらず、分からないことだらけである、と言うのが現状で、そこに切り込もうと言うこの研究の意義は非常に大きいと思います。ただ、ここまでの発表を聞いた限りではどうも「群盲象を撫でる」(これは茨城大の新村先生が講演で言っていたセリフ)に近い感じ。水に絡むいろいろな面白いことはあるんだけど、結局のところ何が本質なのか良く分からん、と言う印象です。物理の世界には「水には手を出すな」と言う格言?があるのですが、ひょっとして化学でも同じなのでしょうか?

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因みに会場は、栂池と岩岳の中間あたりにあるシェラリゾート白馬。「カナダ・ウィスラーのコンドミニアムをそのまま再現した」と言うとおりの、高級感あふれるリゾートホテルです。ただ、それに応じて宿泊費が高いのでどうしようかな〜と悩んでいるうちに予約申し込みの締切が過ぎてしまったので、やむなく?そこから歩いて5分ぐらいの場所にある「グレートデン」と言うプチホテルに泊っています。

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こちらは写真の通りにこぢんまりしたペンションなのですが、清潔な室内はなかなか快適。特にフレンチ風の食事が朝も夜も豪華で、値段(1泊1万円弱)を考えれば十分納得です。夏の陽射しはさすがに暑さを感じさせるものの風は爽やかで、標高800mのリゾート地でゆったりした気分に浸っています。ああ、こうなると京都に待っている仕事の山が怖い...

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