2005/09/14

毎日、これが最後の日と思って生きるなら

もう一つ、先週の「AERA」の記事から。

アップルコンピューターの創立者で現CEOのスティーブ・ジョブス氏の「わが人生」と言うスピーチの抄訳が、「『iPod電話』携帯制するか」と言う記事の囲み記事として掲載されていました。(このサイトで全文の日本語訳を読む事ができます。)ジョブスがスタンフォード大学の卒業式で行った祝賀スピーチで、多くの人に感銘を与えたものだそうです。

興味のある人はそちらを読んでもらうことにして、私が素晴らしい、と思ったのは次のくだりです。

ー17歳の時、こんな一節を読みました。「もしあなたが毎日、これが最後の日と思って生きるなら、いつかきっと正しい道に進むだろう」。この言葉は心に深く刻み込まれ、以来33年間、毎朝鏡を見つめて自問自答しています。「もし今日が人生最後の日だったら、今日やろうとしていることをやりたいと思うか?」と。

私は一応、日々必要な事をやりながらそれなりに一生懸命生きているつもりなのですが、しかしそれでもついつい流されてしまっているな、と思うことがあります。やらなければならないことが複数あって、どちらもそれほど切羽詰まっていない時。そんな時、自分にとって重要な事をよく考え、その優先順位のとおりにやるのではなく、自分がやりやすい道を選んでいるような、ふとそんな気になることがあるのです。仮にジョブスのように毎朝自問自答したとして、果たして自信を持ってYesと言えるかどうか、と不安になります。

考えてみれば定年まで20年余り。大学院に進学して自分の専門はこれかな、と思いを定めてからの期間と同じ長さです。以前は漠然と先は無限にあるようなつもりでいたのですが、決してそうではないわけです。だいたい40歳前後で突然の死を迎える人だって沢山いて、自分がそれに遭遇する可能性だってあるわけです。そんな時に「ああ、あの時こうすれば良かった」と後悔するような人生だけは送りたくないものです。私も明日の朝から、鏡を見て自問自答してみようかな。

因みに「AERA」の抄訳よりも、全文訳の方がずっと心に沁みると思いますので、未読の方は(本屋に売れ残りのAERAを探しに行くのではなく)ぜひそちらをどうぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005/06/04

右足大腿二頭筋部分断裂全治3週間

昨日、サッカーをやっていたらいきなり右足を痛めてしまいました。練習でロングシュートを蹴った瞬間、利き足の太腿裏側がビビビっときました。どうしてもサッカーをやりたかったのでそのまましばらく練習に参加していたのですが、走れない、蹴れないではどうしようもなくそのままリタイア。あー、こりゃ肉離れをやっちゃったかな、と今日行きつけの整形外科に行ってきました。

その行きつけのお医者さん、なかなかフランクな物言いをすることで結構評判のよい人です。私が「昨日サッカーをやってて肉離れをやってしまいました」と言ったら、「おお、バーレーン戦ですか。勝ってよかったですね。おめでとう」だって。そして私をうつぶせに寝かせるとまず右足を触って痛いところを特定し、次に左足の膝を曲げる力と右足の力を比較して、タイトルに書いたように「右足大腿二頭筋部分断裂全治3週間」との診断を下しました。つまり昨日自己診断したとおり、「ハムストリングの肉離れ」だったと言うことです。

大腿二頭筋、とは太腿後面の外側にある筋肉で、周囲の筋肉と合わせて「ハムストリング」と呼ばれています。膝関節の屈曲と股関節の伸展に関与する筋肉で、太腿の前面の「大腿四頭筋」とペアで働きます。膝前面の四頭筋の方はスクワットなどで鍛える事ができますが、ハムストリングの方はトレーニングが非常に難しい、とのこと。だから前面、後面の鍛え方のバランスが悪いと、動きに負けてしまって肉離れを起こしやすいのだそうです。実は先週もサッカーの試合をやって、その後右足の筋肉痛がなかなか抜けないなー、と思っていたのですが、たぶんそこで既に部分断裂しかかっていたのかも。昨日はそれに止めを刺した、と言うことなのだろうと思います。

件のお医者さんによると、この症状は日常生活にはほとんど問題なく、放っておいても数週間で直るのだとのこと。ただ、悪化させないように無理して使わないよう気をつける必要があるそうです。(「中田英でも直るまで3週間」と言っていた。)これから物理教室はサッカー大会の時期なのですが、今月終りまではプレーできない、と思っておいた方が良さそうです。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2005/01/10

ノロウィルスによる食中毒

 新聞報道によると、福山の特養ホームでノロウィルスによると思われる食中毒が発生し、7人もの方が亡くなったのだそうです。また大津でもノロウィルスが原因の食中毒で13人が被害を受けていますし、茨城や高知、香川、秋田など全国各地で似たような問題が起きているそうです。実は私も12月の半ばごろ、八王子に出張中に感染してひどい目にあったのですが、その体験を含めてここにまとめてみましょう。

 何でこの寒い時期に食中毒?と思う人も多いでしょうが、例えば昨年の前半(1月〜6月)、全国で食中毒事件が400件近く起きているうち、68件が1月中のもの。つまり別に梅雨時とか暑い時期とか関係なしに、年中食中毒が起きているのです。

 食中毒の原因となる細菌やウィルスにはいくつかあるのですが、O-157等の大腸菌やサルモネラ菌、鶏肉などから感染するカンピロバクター等と並んで多いのが、今回話題の?ノロウィルスで、特に冬場はこのウィルスが原因となることが多いとのこと。貝類から感染する事の多いのですが、新鮮なうちに食べれば良いのか、あるいは加熱すれば感染しないのかと言えばさにあらず。もともと貝の中では増殖しない(動物の腸内で増殖する)ので新鮮かどうかは関係なく、加熱も中心まで十分に行わなければ効果はありません。またエタノールによる殺菌も効果なし。石鹸で洗えば流れていきますが、それで死ぬわけではありません。その上乾燥にも強いときている。従って貝を生で食べなくても、ウィルス付きの貝を調理したまな板や包丁を十分に洗ったり殺菌したりせずに次の調理をすれば、そこから感染するわけです。また感染者の便や吐瀉物に大量に含まれていて、その処理後の手洗いが十分でなかったりすれば人から人への感染もあります。更に乾燥して空中に舞い上がれば、それを吸ったことによる感染もあるわけです。つまり、十分に注意していても起こる可能性が残るのが、このノロウィルスによる食中毒なのです。

 私が発症したのは、ある飲み屋で飲んだ翌日の、夜のことでした。友人と一緒に飲み食いしていたら何となく胸がムカムカして、あまり食べる気がしなくなって早々に退散することになったのです。そしてホテルのベッドにばたっと倒れ、寝ていたら夜半過ぎに気分が悪くなって吐き、更に下痢と発熱で朦朧とした状態で朝を迎えました。出張先のホテルで1人で寝ていてもどうにもならぬ、と必死で京都まで戻ってその日は1日食事もできないまま。翌日は何とか動けるようになったものの発熱が続いていたので、近所の医者に行って診てもらいました。そしたら「風邪による腸炎だろう」との診断。なんかいつもの風邪とは違うな、とは思った(いつもはまず喉が痛くなるから)のですが、出張続きで疲れていたのだろう、と一応納得して回復を待っていたわけです。

 ところが数日経って、勤務先の近くの保健所から電話がありました。何でも食中毒の疑いがあるため調べたい、とのこと。私と同じ日に同じ店で食べた人から同様の症状の人が沢山出ていたそうで、食中毒の疑いがあるとのことでした。検査の結果、私の便からは細菌もウィルスも出なかったのですが、その他の調査結果からノロウィルスが原因の食中毒、と判明したと言う次第。その後、原因となったお店からは丁重なお詫びの電話とお見舞いを送ってきたので気持ちは晴れたのですが、それにしても突然の災難でした。

 因みにこの種の食中毒は、赤ん坊か老人以外は通常2〜3日で全快し死ぬことはありません。しかしウィルス自体は体内に2〜3週間は滞在して、他に感染していく可能性があるそうです。実際、うちでは私の数日後に妻が全く同じ症状に罹ってしまっています。すなわちこの食中毒は、コレラや腸チフスと同様にうつる病気なんですね。ノロウィルスに感染するかどうか、あるいは発症するかは運次第。そして発症してもたいていはすぐに治るのですが被害を拡大する可能性もあるので、私のような症状になった人はまずはお近くの保健所にご連絡を。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/07/10

一人前になる、と言うこと

先日に引き続いて「ちゅらさん」のネタ。先週末にハッピーな出会いをしたエリーと文也君は今週は「結婚」に向けていろいろな人に相談するのですが、その中で「お互いに『一人前』になったら結婚しよう」と決めます。そしてそこでエリーはいろいろな人に「一人前になるということ」について質問して回るのです。

それを見ながら私自身も考えました。自分が「一人前」になったと言えるのはどんな時だったかなーと。

研究者志望の大学院生は良く「一人前と言われるには3つの基準がある」と言われます。学位を取ること、結婚すること、就職すること。この3つがそろって一人前だ、と言うわけです。学位(博士号)は、大学院生として一つまともな研究をした、と言う証明です。それに対して就職、と言うのはその研究内容と人物に対する将来性の評価。そして結婚はもちろん、社会人としての評価に繋がります。

そう言う外的な評価からすると、私は博士課程を終えた時にその3つのアイテムが揃いました。(もう15年も前の事ですけど。)でも、自分の中ではそれで「一人前」とはあまり思えませんでした。研究者は自分でテーマを探して研究を進め、論文を仕上げるところまでできて一人前。その中には申請書を書いて研究費を取ったり、学生を指導して学位を取らせると言うプロセスも含まれるわけです。私自身、それらを含めてトータルで「一人前」と言えるようになったのは、30台も半ば以降のことだったように思います。

でも、その後も修業が終ったか、と言うとそうでもないように思います。助手のポストに就いている人は次は助教授にならないといけないし、助教授はいつかは教授にならないといけない。グループの一員として働くだけでは一人前とは言えず、やはり研究室を主宰しないといけないでしょうし、研究費も沢山の人を養えるほどの大きなのを取ってこないといけないものです。すなわち上述の「3つの基準」よりも後にも沢山の基準があるわけで、それらを次々とクリアしていかないとなりません。もしかすると後から考えたら、今のこの時期はまだ半人前だったなー、とか思ってしまうのかも知れません。

結局のところ、人は常に成長するわけです。だから「一人前」と言ったって、そこで終りではないわけです。逆に言えば一人前と言う基準は逃げ水みたいなもので、どこまで行っても到達できないもの。むしろそれを目指す事に、価値があるのだと思います。エリーと文也君がどのような結論を出すのか、どの段階で一人前と判断するのか、注目したいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/04/20

四十代の壁

今日から関東に出張です。今日から明日の夕方までは東海村で、その後千葉県の柏市に行って夕方京都に戻る予定です。

かつては月イチ以上のペースで来ていた関東なのですが、最近はすっかりご無沙汰していて、もちろんサンフレッチェの試合に合わせて出張日程を組む、なんてことはしてないし、できない立場になってしまいました。今回の出張も本当はもっと早く来ないといけなかったのですが、色々な事情があって後回し、後回しになって、どうしても来なければならない事情が出来てついでに東海村まで来た次第。あっちとこっちのしなければならないことの板挟みになっていて、なかなかうまく行かないことが多くて大変です。いささか精神的にしんどいなー、と思うことも多くなっています。

今の状況を比喩的に表現すると、なんか目の前に壁があって、若い頃なら何も考えずに飛びついていたのに「飛びついて落ちたら怪我するかもしれないし」とか考えて躊躇している、と言うような感じじゃないかな、と思います。論語には「四十にして惑わず」と書いてあるのに、なんだかむしろ四十を過ぎてから惑うことが多くなったような気がします。

とかなんとか悩んでいたら、先日退官したある先生が良いことを言っていました。曰く、「私の研究者人生には3つの段階があった。第一の段階は何も考えずに突っ走った時期。次は自分に自信を失って悩んだ時期。3つ目は新しい道を見つけた時期。2つめの段階は40歳ぐらいから始まって、50代半ばぐらいまで続いていたような気がする」云々。そして結局のところ得た教訓は、「自分のできることしかできないんだ」と言う事だったのだそうです。

これで私の悩みはすっかり解決、というわけにはいかないのですが、しかし最後の言葉は重要だと思います。宗教家の三宅善信氏によると、論語の「四十にして惑わず」とは「四十を過ぎたらこれ以上人間としての能力がアップすることはないのだから、あまり無理をせずできることをやれ」と言う意味なのだとか。人間、だれでも死ぬまで成長し続けると信じている私としてはあまり同意したくない考え方なのですが、しかし自分の精神衛生からすればこう考えるのも悪くないのかも。少なくともそろそろ、自分というものを冷静に見なければならない時期が来ているのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2004/04/07

肉離れ、って何だろう

スポーツニュースを見ていると、良く「肉離れ」と言う言葉を聞きます。また私の同僚は職場のスポーツ大会で、突然「肉離れ」を起こしてしばらく歩けなくなりました。この肉離れとはいったい何なんだろう、と思ってちょっと調べてみました。

たいていの筋肉は、骨に付いて曲げたり伸ばしたり、と言う役に立ちます。つまり骨に付いているのが筋肉の普通の状態です。例えば鶏や牛の骨付き肉は加熱すれば骨から外れますが、生の状態ではがすのはそう簡単ではありません。その筋肉が骨から離れてしまうのだとすれば、それは痛そうだな、と想像できます。

でも実際に筋肉が骨からはがれてしまう、と言う症状はそういつもあることではなく、むしろ肉離れ=筋肉の挫傷、と考えるべきだそうです。挫傷。つまり筋肉の組織の断裂や筋膜が破れてしまった状態。筋肉痛も一種の挫傷ですから、その筋肉痛の酷いのが肉離れである、と言う事なのだそうです。

筋肉痛が起きるのはどう言う時かというと、普段使わない筋肉を急に使ったときやウォーミングアップが十分で無かったときです。つまり、筋肉が耐えれる以上の負荷をかけたとき。逆に言えば肉離れを起こさないようにするには、運動前に十分にストレッチをする、そして筋肉に無理をさせないことが肝要です。筋肉を鍛えるためにはある程度の負荷をかけて(少々筋肉痛が出るぐらい)やることが必要ですが、それも程度によるでしょう。スポーツ選手の場合でも素人の場合でも、練習前後のケアが何よりも重要だ、と言えそうです。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2004/03/15

15歳の春

今日は広島県立高校の合格発表の日。息子の友人たちの多くはこの日をドキドキしながら迎えていたようです。東広島市周辺にはいくつかの私立高校の他に今年開学する中高一貫の「広島高校」もできましたし、また広島市内の高校を受ける子どももいます。ですからほとんどの生徒は県立高校の発表前にどこかの合格通知はもらっていたようですが、それでもやはり県立を本命と考えていた多くの子どもにとっては、一つの節目を迎える事になりました。

大人と子どもの境目の、15歳の春。受験という一種の通過儀礼を経て一歩大人への階段を登っていくわけですが、その同じ年齢の森本貴幸選手が、この土曜日にヴェルディからJリーグデビューを果たした、と言うニュースには驚きました。私はダイジェストの映像を見ただけですが、とても中学を卒業したばかりとは思えないような精悍な面構え。体格的な不利を感じさせないほどのスピードとアグレッシブな姿勢で、大人の中ではっきりとした存在感を見せていました。この年頃の子どもは、成長に大きなばらつきがあるものです。だからこの活躍だけで「天才」だとか、将来を約束されているような表現はしたくはないのですが、しかし彼が見せた自分自身の価値、才能の輝きは生半可なものでは無いことは間違いないでしょう。子どもの才能を伸ばすか矯めるかは本人と、そして周囲の大人次第。彼の才能、と言うよりもその洋々とした可能性を、ぜひとも伸ばして欲しいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2004/02/05

本番に強い、と言うこと

試験とか、試合とか、発表とか。人生にはしばしば、その後の行方を左右する場面が巡ってきます。一回限りのチャンスをモノにするために十分に準備をして、いよいよ本番。しかし緊張しすぎて力を発揮できず...と言う経験は、誰でも一度は(あるいは何度でも)あるはずです。なぜ出来なかったんだろう、と後になって落ち込んだ人も多いのではないでしょうか。

しかし一方で、本番にめっぽう強い人もいます。練習ではたいしたことが無いのに試合になると活躍する選手。普段は目立たないのに、人前に立ってマイクを持つと生き生きとする人。いったい、何が違うのでしょう?

緊張する、と言う事自体は不自然なことではないと思います。犬でも猫でも鳥類でも、危険を察知すれば身構えます。人間だって「動物」ですから、未知の脅威に対する本能的な反応があるのは当然です。例えば緊張すると手に汗をかきますが、それは手に持った武器が滑らないようにするためのものなのだとか。勝ちたい、受かりたいと本気で考えているから緊張する。つまり「緊張する」と言うことは、その試合や、試験等で成功したいからこそ起きることであって、その逆ではないのです。

本気だからこそ緊張する。と言うことは、試合の相手などのライバルも同じだ、と言うことです。失敗を恐れてひざがガクガクしているのは、誰でも一緒です。本番に強くなるためには経験を積むことだ、とは良く言われる言葉ですが、それは緊張に慣れるからです。言葉を変えれば、「誰でも緊張するものだ」と言うことが分かるからこそ、本番に強くなるのだと思います。

1〜3月は受験や卒業のシーズン。試験や卒論発表などで、人生の岐路を迎える人も多いでしょう。そこで成功できるかどうかの秘訣は、十分な準備とともに程よく緊張すること、そして緊張することは当たり前だと思うこと。緊張しないように気をつけるのではなく、緊張と上手に付き合うことなのだと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (0)