2014/04/24

備忘録:TeXShopの設定

MacOSをMarvericksにしたので、LaTeXとTeXShop(2.18)を更新しました。やり方は

教授でもできる...

に従いました。インストールしたLaTeXはMacTeX-2013。またTeXShopはversion3.34。数年バージョンアップをサボっていたせいかかなりのビッグジャンプとなったのですが、そのためかどうか何と日本語が入ったソースがちゃんとコンパイルされない.... 解決策が分からなくて、こことかこことかを参考にしながらいろいろやってみたのですが解決せず。不思議なことにイチから作ったソースはちゃんとコンパイルされて表示もされるのに、ものによっては「コンパイルはするものの表示がおかしい」「コンパイルの途中でエラーが出る」と症状がまちまちなのです。どうにもこうにも分からなくて、一時は諦めかけました。

しかし、実を言うと解決策は簡単でした。件のサイトの記述に従ってTeXShopを設定するとエンコーディングUTF-8に用になるのですが、エラーが出ていたファイルはShift-JIS。そのままではうまくいかないのは当たり前なので環境設定>書類>エンコーディングを"日本語(ShiftJIS)"にしていたのですが、実はそれだけではダメだった、と言う次第。環境設定>書類>設定プロファイルの部分も"旧pTeX(Shift JIS)"にしないとダメだったのでした。

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2010/03/12

第4回日台中性子&X線散乱研究会

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今週は台湾・宜蘭で「日台中性子&X線散乱研究会」が行われました。奇数回は日本、偶数回は台湾が主催ということで続いているこの会議も今回が4回目。今回は台北の近郊のリゾート地である宜蘭が会場で、中性子だけでなく放射光のユーザも含めての会議となりました。

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会場となったのは、「新月廣場」と言うショッピングセンターの上にある「晶英酒店」と言うホテル。できたばかりの高級ホテルで、素晴らしい環境でした。

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会議中は全ての食事が付いていて、特に夕食は毎回豪勢な台湾料理を食べさせてもらいました。次回は日本側の主催となりますが、果たして今回に匹敵するような会議にすることができるでしょうか?

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2006/02/03

韓日中性子科学研究会

昨日から「第6回韓日中性子科学研究会」のために東海村に来ています。毎年行われているこの会議は今年が6回目。昨年4月に太田で行われた会議の続編、と言うことになります。これまで日本の中性子散乱研究はアメリカやイギリス、フランス、ドイツ等の欧米各国との関係が強かったのですが、アメリカでもヨーロッパでも原子炉への風当たりが強くなり、加速器を作ることもそう簡単ではないと言う現状にあります。その一方で韓国や中国などアジア各国では続々と中性子散乱の施設が作られつつある、と言う流れを考えると、世界的にアジアやオーストラリア等の地域を無視するわけにはいかない、というのがトレンドになってきています。その中で日本は技術的にも、またユーザーの数から言っても他の国と比較して一歩前にいるので、アジア・オセアニア地域での中性子散乱研究をリードしなければならない、と言う役目があります。

と言うことで今回、東海村で行われている「韓日中性子」(因みに韓国で開催されるときには「日韓中性子」になる)には、初めて台湾の研究者も招かれました。台湾は数年前に新しい研究用原子炉の建設を取りやめ、他国の中性子源での装置開発を進めつつあるところ。これまではオーストラリアとの協力が先行していましたが、地理的に近い日本や韓国との協力はぜひとも進めたいところでしょう。欧州、米国と並ぶ世界の「第三極」を作りたいと言う日本側の思惑と一致して、これまで以上に盛大な会となりました。

私は昨年初めて(仕事で)韓国に行ったわけですが、台湾は残念ながらまだ一度も行ったことのない土地です。この研究会が発展して「日韓」から「東アジア」に昇格したら、ぜひとも台湾での会議にも行ってみたいものです。

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2005/09/11

東大脳の作り方

今週号のAERAにマンガ&ドラマでヒット中の「ドラゴン桜」を題材とした「東大脳の作り方」と言う記事が載っている、と言う吊り広告を見て、久々に買ってみました。

「ドラゴン桜」は週刊モーニング連載中の人気マンガで、この夏にはTBS系でドラマ化されています。私はモーニングの連載開始当初から愛読しているのですが、確かにこのマンガの内容にはなるほど、とうなずくことが多いのです。別に東大に入るばかりが人生の勝利じゃない、とは思うのですが、しかしそれなりにきちんと学力を付ければ普通の人でも入ることができるのは確か。そしてそれは京大も他の大学も同じでしょう。受験テクニック、と言うと矮小化されたイメージになってしまいますが、どんなやり方であれ頭の柔らかいうちに知識を吸収し考える力を鍛えるのは良いことです。何かのきっかけで目標を持ち、それを実現しようと最大限の精力を傾けることは、高校生の時には特に重要なことだと思います。

今の高校生は、「ゆとり教育」が始まった以降に育った子どもたちです。だからおそらく小中学校の時には勉強が楽しくできたのに、高校に入ったら急激に難しくなって付いて行けなくなった、と言う生徒も多いのではないでしょうか。そんな中で高い目標を持つのを躊躇して、あきらめてしまった子も多いはず。そんな人たちにこの「ドラゴン桜」は大きな勇気づけになるのではないでしょうか。

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2005/09/09

大学院入試終了!

今日、うちの大学院の入試が終わりました。2日間の筆記試験。1日空けての面接試験。受験生にとっても試験する側にとっても体力勝負で、終わってほっとした、と言うのが最初の感想です。

10年ほど前に大学院重点化で定員が一気に増えたおかげで、どの大学院でも学生の確保に汲々としています。しかしそんな中、常に定員の倍近い志願者が来ているうちの専攻は、非常に幸せだと言って良いでしょう。ただ逆にそう言う状態は責任を伴います。せっかく京大物理に来よう、と言う学生の多くを門前払いしなければならないわけで、結構神経を使います。今日も朝9時から夕方4時半まで昼休みを挟んで数十人の学生に面接し、その後は数時間に渡る大激論?の末にようやく合格者を決める事ができました。発表はもう少し先ですが、合格した人にはおめでとう、と言いたいと思います。

ただ、落ちたからと言ってそんなにがっかりする必要は無い、とぜひ私は言っておきたい。なぜかというと、私自身が二十数年前に院入試で落とされた側だからです。当時の私は結構勉強をしていたし、試験の結果にはそれなりに自信もありました。で、面接まで進んだ時には「当然」とも思っていたものです。しかし、結果は不合格。面接に進んだ19人のうち落ちたのがたったの3人だったことを、今でも鮮明に覚えています。

しかし、世の中分からないものです。その後滑り止めのつもりで受けた阪大に進学して、私の人生は大きく変わりました。良い師と良い仲間に恵まれて、何とか研究者として一人前になることができました。私だけではありません。一緒に京大から阪大に進学したN君は、その後ぐんぐん出世して、40台前半で東北大の教授になっています。院入試の時に私よりもよい成績だった16人が、必ずしも研究者として成功しているわけでは無いことを考えると、院入試って何だったんだろうな、とついつい考え込んでしまいます。

入学試験を受ける方が嫌なのは当たり前ですが、試験する側も嫌なものです。ペーパーテストとちょっとした面接でその人間の将来性まで分かるわけはないのに、その人の人生を決めるような判断を下さなければならないからです。できれば私たちの判断が、誰をも不幸にしないこと。それだけを願っています。

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2005/08/12

模擬授業しました

先日も書いたように、昨日と今日は京都大学のオープンキャンパスの日。その中(理学部企画の中)で、今年は私が「模擬授業」を担当して高校生に向かって45分2本の講演を行いました。

選んだタイトルは、「やわらかな物質の物理学」。固体ではない物質(いわゆる「ソフトマター」)を、物理学的にどのように理解するか、と言う話です。模擬、とは言え大学生向けの授業をそのまま話すわけにはいかないので、今回のためにほぼゼロから話を起こすことになりました。

その結果、私が選んだ筋はこんな感じ。

(1) 物理学とはどう言う学問か。アインシュタインから出発して素粒子物理から宇宙物理までの対象が広がっていること、その中で物理学は「ものごとの根本原理を明らかにする学問」であると説明。

(2) 「物質」を対象とする物理学=物性物理学。特に20世紀は金属や半導体などの「固体物理の世紀」と言って良く、現代文明はこれによって成り立っていると言ってよい。

(3) 身の回りを見てみると、金属や半導体に限らず様々な物質がある。その中で、固体以外の物質(高分子や液晶など)の理解が、最近の技術の発展に重要だということ。

(4) 一例として、液晶を取り上げる。液体と結晶の中間の「秩序」を持つことが、どのように有効に働いてディスプレイとして使われているのか、その原理について。

(5) 「やわらかい」と言うことは力学的な応答として理解できる。固体の示す性質=弾性と、流体が示す性質=粘性について説明し、その中間の性質=粘弾性について解説。

(6) 粘弾性体の例として、スライム(ポリビニルアルコールゲル)を紹介。流体的性質と、弾性体的性質を映像で示す。

(7) 高分子と高分子ゲルについての説明。そして、スライムがなぜ粘弾性を示すのかを示す。

(8) ソフトマターの多くが粘弾性を示すこと。いろいろな空間スケールの構造があり、それぞれが違う動きをすることが本質である、と説明。

(9) ミクロを解明する物理学から複雑なものを対象とする物理へ。その守備範囲は生物まで広がりつつある。

昨日1日と今朝まで使って(妻の協力まで得て)準備したわけですが、その甲斐あってか私の話は高校生たちにも一応ウケた模様。寝ていた子も少しはいましたが、真剣に聞いてくれた生徒が多かったように思います。話し終わったときには思わず?拍手が起きてましたし、後で何人かから評判を聞いたら「面白かった」との感想が多かったようです。私が20数年前に京大理学部を受験したときには「物理=湯川・朝永=素粒子」と言うイメージで固まっていたのですが、今日の話で少しは頭もやわらかくなってもらえたでしょうか?

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2005/07/24

オープンキャンパスの模擬授業

京都大学は8/11, 12の2日間にわたってオープン・キャンパスを行います。理学部は12日に300人ずつ2組に分けて、学部長歓迎挨拶、オリエンテーション、模擬授業、教室企画(研究室公開など)を行うのですが、この模擬授業を今年は私が担当することになりました。予定しているタイトルは「やわらかな物質の物理学」。ソフトマター(高分子や液晶、エマルションなど固体でない物質系の総称)の性質を物理学的にどのように解き明かすのか、と言うことを、高校生にも分かりやすいように説明する予定です。

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2005/07/14

これから論文を書く若者のために

以前から気になっていた共立出版の「これから論文を書く若者のために」を、昨日たまたま生協で見つけたので買ってきました。

中身は著者のホームページを見ていただければほぼ分かるのですが、一言で言えば自然科学系の研究者が論文を書くためのマニュアル本。著者のこれまでの生態学分野での経験を中心に、これから論文を書く、あるいは執筆中の「若者」だけでなく、既に経験を積んだ人から指導者として学生に論文を書かせる立場の人までを対象にして書いています。

日本の科学教育が軽視されるようになった、とは最近良く耳にする言葉ですが、それでも「理科」と言う科目はあって自然科学に関する教育は一応小学校から大学院まで続いています。しかしそんな中で、全くゼロに等しいのがこの「論文を書く」と言うことに関すること。論文書き、とは要は自分がやったことを論理的に過不足無く他人に説明すると言うことですから本来は研究者だけに必要な技能では無いはずなのですが、そのやり方をきっちりと教えると言う教育は存在していません。受験生に課せられる「小論文」と言う名の科目は、「科学論文の執筆」というものとはまったく別のもの。たいていの学生はまるで寿司屋の職人のように、師匠と一緒に論文を書く中で自らこの技術を修得する(あるいは自分で方法を編み出す)しかないのです。

もちろん、そう言う現状を何とかしなければと思っている人は世の中に沢山います。例えばamazonで「論文の書き方」をキーワードに検索すると300件以上ヒットします。これらと比較して、この本の内容がとりわけ新しいというわけでもないと思うのですが、特に目を引かれるのはそのスタイル。まずは「アルプス一万尺」をもじった替え歌から始まり、「ベガルタ仙台が強いのは牛タン定食を良く食べるからである」と言う架空の論文(著者本人は結構真面目らしいけど)をどうまとめるか、と言うのを例にして筆を進めています。これは素晴らしい。そして、頭にすんなり入っていきます。私は早速この本を研究室の学生が集まる部屋に置いて、研究室のMLに「ぜひ読むように」と流しました。

因みに著者の酒井聡樹氏は、私が学部生の時にクラスメイトだったりします。しかしまさか彼がこんなキャラだったとは... もう20年以上も会ってないのですが、一度じっくりと(サッカーにまつわる話でも?)話してみたいものです。

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2005/02/19

大学入試を受けさせる立場から

 そろそろ国立大学の入試の時期。受験生の皆さんは、最後まで頑張ろうと思って勉強に励んでいることでしょう。

 ところで入試を受ける人がいる一方で当然受けさせる人がいるわけで、大学側もピリピリしながら入試の日を迎えます。我々大学教員も、試験当日は試験監督や管理業務(要するに問題なく試験が行われるようにお世話する係)が順番に回ってくるので、それが当たった人はそれなりに?緊張してその日を迎えます。

 しかし、そんな中で一番大変なのはやはり出題と採点です。出題する人は1年ほど前から準備を開始し、問題案を作り、いろいろな角度で検討し、絶対に間違いない、と言うまで「バグ取り」して試験日を迎えます。でもそれでも不思議にトラブルがあるもの。この時期、よく「××大学で入試のミスがあった」とかなんとかニュースになりますが、そのほとんどがいわゆる「ヒューマンエラー」と言うやつで、悪気はなかったはずなのに気の毒だなー、と思ってしまいます。(もちろん、受験生にとってはどんなミスでも勘弁して欲しい、と思うのは理解できるのですけど。)

 小さな大学だと出題者も結構頻繁に回ってくるようですが、大きな大学になるとそうでもありません。しかし、数年に一度は必ず回ってくるのが採点の仕事。これもミスは許されないので、結構緊張します。特に気にするのは、数人の採点者の中で採点基準が違わないようにすること。穴埋め式の問題なら楽なのですが、記述式だとそうはいきません。そして、受験者によって違う表現をいかに理解して、意図を汲んで点数を与えるかに結構気を使います。どうせ間違いは間違い、と冷たく採点するんだろう、と思うかも知れませんがさにあらず。他の教科は知りませんが、少なくとも物理の場合は、なるべく、なるべく高い点数になるように採点しています。理由は簡単で、平均点が低すぎたら翌年から取る受験生が減ってしまうから。物理を専門とする教員としては1人でも多くの学生が物理を学んで来て欲しいわけで、やっぱりどこかにそう言う「打算」が入ってしまうのかも知れません。

 因みに、ほとんどの大学教員は入試業務を担当するのが苦手で、なるべくその仕事から逃れたいと思っているものですが、誰かがやらなければならない仕事なので仕方なく引き受けます。しかし、絶対に逃れることのできる理由が一つだけあります。それは、近親者が受験するということ。私の場合二年後に息子が受験することになるので、その時だけは入試に関わらなくて済むことになるわけです。

 そうそう、最後になりますが受験生に一言。そんなわけで大学側もなるべく受験する人が不利にならないようにやってますので、緊張せずにリラックスして受けてください。A日程の入試まで残り1週間弱。当日になって実力が出せないようなことにならないよう、体調を崩さないように気をつけて頑張って欲しい、と心の底から思います。

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2004/07/10

一人前になる、と言うこと

先日に引き続いて「ちゅらさん」のネタ。先週末にハッピーな出会いをしたエリーと文也君は今週は「結婚」に向けていろいろな人に相談するのですが、その中で「お互いに『一人前』になったら結婚しよう」と決めます。そしてそこでエリーはいろいろな人に「一人前になるということ」について質問して回るのです。

それを見ながら私自身も考えました。自分が「一人前」になったと言えるのはどんな時だったかなーと。

研究者志望の大学院生は良く「一人前と言われるには3つの基準がある」と言われます。学位を取ること、結婚すること、就職すること。この3つがそろって一人前だ、と言うわけです。学位(博士号)は、大学院生として一つまともな研究をした、と言う証明です。それに対して就職、と言うのはその研究内容と人物に対する将来性の評価。そして結婚はもちろん、社会人としての評価に繋がります。

そう言う外的な評価からすると、私は博士課程を終えた時にその3つのアイテムが揃いました。(もう15年も前の事ですけど。)でも、自分の中ではそれで「一人前」とはあまり思えませんでした。研究者は自分でテーマを探して研究を進め、論文を仕上げるところまでできて一人前。その中には申請書を書いて研究費を取ったり、学生を指導して学位を取らせると言うプロセスも含まれるわけです。私自身、それらを含めてトータルで「一人前」と言えるようになったのは、30台も半ば以降のことだったように思います。

でも、その後も修業が終ったか、と言うとそうでもないように思います。助手のポストに就いている人は次は助教授にならないといけないし、助教授はいつかは教授にならないといけない。グループの一員として働くだけでは一人前とは言えず、やはり研究室を主宰しないといけないでしょうし、研究費も沢山の人を養えるほどの大きなのを取ってこないといけないものです。すなわち上述の「3つの基準」よりも後にも沢山の基準があるわけで、それらを次々とクリアしていかないとなりません。もしかすると後から考えたら、今のこの時期はまだ半人前だったなー、とか思ってしまうのかも知れません。

結局のところ、人は常に成長するわけです。だから「一人前」と言ったって、そこで終りではないわけです。逆に言えば一人前と言う基準は逃げ水みたいなもので、どこまで行っても到達できないもの。むしろそれを目指す事に、価値があるのだと思います。エリーと文也君がどのような結論を出すのか、どの段階で一人前と判断するのか、注目したいと思います。

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