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2019/12/28

ロードスターへの道(5)

スポーツカー、特にオープンカーへの思いを抑えきれなくなったのは2016年のことでした。とにかく一度乗ってみよう、と妻を説得して、オープンカーを借りてドライブすることにしました。借りたのは野田市にあるおもしろレンタカーと言う会社で、いろいろなスポーツカーを借りることができます。ここで真っ赤なマツダロードスターをレンタルして、日光にドライブに行くことにしました。

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借りたのは9月の初旬で、まだまだ日差しが強くオープンで走るには若干暑すぎる感じだったのですが、それでも幌を開けて東北道を宇都宮へ。そして日光市内に入りいろは坂を上がって明智平まで行きました。途中からは日が陰って暑さも和らぎ、気持ちの良いドライブとなったのでした。

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一番思い出として残っているのは、対向車線を別のロードスターが来た時。思わず両手を高く上げて、オープンカー同士でないとできない挨拶をしました。風を切って走る感覚は最高で、夫婦ともども楽しい休日を過ごすことができました。そしてオープンカーを持つことに対する思いも、ますます強くなったのでした。

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2019/12/19

ロードスターへの道(4)

車がないとどこにも行けない、と言う感じの東広島では、インテグラとインプレッサの2台を夫婦で使い回していたのですが、そうこうするうちに2002年、京都への異動が決まりました。息子が高校受験を控えていたため単身赴任となり、東広島にはインテグラを置いて妻が使い、私はインプレッサで京都と広島の間を行ったり来たり、と言う生活がしばらく続いたのですが、2年後に息子が京都の高校への進学が決まって家族全員が京都に住むことになると、車は2台は要りません。エアコンが効かないインテグラを残すのも何だし、かと言って妻はマニュアル車は嫌がるし...と言うことで買い替えたのはレガシィ・ランカスター。長距離ドライブや雪道を走る可能性、荷物を運ぶキャパシティなどいろいろと考えて、1台だったらこれしかない、と考えての選択でした。

このレガシィ・ランカスター。車上荒らしに遭って窓を割られたり、大雪の北陸道を走行中に轍にタイヤを取られコントロールを失ってスピンしたり、とそれなりにいろいろあったのですが、結局2003年から2014年までの11年にわたって乗って約10万km走りました。夏でも冬でも大きめの車体と四駆の安心感は何にも代え難かったこともあり、次の車を買うにあたってSUV以外の選択肢はありませんでした。と言うことで2014年にランカスターから乗り換えたのはスバル・フォレスター。当時はまだ運転支援システムはあまり一般的でなかったのですが、スバルのEyeSightの評判が非常に高かった、と言うのも大きかったように思います。一応マツダのディーラーに行ってCX-5の見積もりをもらったりもしていたのですが、ちょうどフォレスターがモデル末期で値引きが大きかったこともあって、最後はほぼ競合なしでこれに決めたのでした。

Forester

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2019/12/10

ロードスターへの道(3)

そんなわけで夫婦で愛用していたインテグラZXiだったのですが、エアコンの効きが悪い、と言う問題がありました。買った当初はそれほどでもなかったのですが、年を追うに従ってだんだんダメになって、ついには温風しか出てこなくなって夏場は窓を開けて走るしかありませんでした。もちろん修理には何度か出してガスのチャージなどもしてもらったのですが、どうしても漏れてしまうのです。結論は、エアコンのユニットのどこかに立て付けの悪いところがある、ということ。どうやら前オーナーがぶつけたか何かで微妙に歪んでいて、そこからじわじわと漏れていた、と言うことだったようです。それまではずっと中古車しか買ったことが無かったのですが、やはり中古車には中古車の難しさがある、と思い知らされることになりました。

ちょうどその頃、東広島でできた友人のIさんがスバルのディーラーに勤めていると言うことが分かって、インテグラの不調も含めていろいろと相談に乗ってもらっていました。スバルのスポーツカー、と言うと当時は何と言ってもインプレッサ。ちょうど世界ラリー選手権で3連覇を達成した頃で、青い車体に黄色の「555」のロゴを配した車体は憧れでした。一度インプレッサWRXに試乗させてもらったことがあるのですが、背中がドライバーズシートに押し付けられるような暴力的な加速を経験して、「本当のスポーツドライブ」を垣間見たような気がしました。とは言え当時もWRXを買うような金はもちろん無く、家族と一緒にスキーやキャンプに行けるクルマ、と言う観点からインプレッサC'zと言うグレードの5ドア車(スバルはこれをスポーツワゴン、と呼んでたっけ)を買いました。WRXと似ているのはフロントフェイスだけだったのですが、しかし水平対向エンジンや4輪駆動はメカ的な興味をそそられましたし、何より初めて購入した新車(しかもマニュアル車)だったので、個人的にはエポックメイキングなクルマでした。

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ロードスターへの道(2)

最初に買ったブルーバードには3年半乗って、次にマイカーになったのはギャランΣでした。広島大学で知りあった友人が何かの理由で手放したい、と言う話を聞いて、4万円で買ったのでした。なぜブルーバードから乗り換えたのかは記憶に無いのですが、マニュアル車だったのが嬉しかったのかも。前のオーナーがぶつけた後の修理が不十分で走っている間に片方のポジションランプが外れて飛んで行ったり、いろいろとトラブルがあったのですがそれもいい思い出。神戸・淡路大震災の直後に学生と実験装置を積んで中性子の実験のために東海に行こうとしたところ、中央道の中津川付近でクラッチが滑り出して走れなくなりそのまま廃車にした、と言うのが一番の思い出です。

その1994年ごろ、と言うのは僕のカーライフ的には激動の時で、ギャランΣの廃車以外にもいろいろなことがありました。例えば前年の1993年には妻の足のために軽自動車(アルトレジーナ)を買って保有してましたし、1994年にはバイクの限定解除して大型バイクに乗れるようになっていました。その1993年にはそれまで7年乗っていたバイクVF400Fを盗まれて翌年VT250Fを買ったのですが、1995年にはネット(当時はNewsgroupだったと思う)の「交換」欄にポストして、SRX600と交換したりしてました。そんな中、廃車したギャランΣの代わりに購入したのはHONDAのインテグラ。マイケルJフォックスがCMで「カッコインテグラ」と言って宣伝していた車種で、中古とは言えツードアクーペの車体は嬉しかったし、革巻きのハンドルや低めのドライビングポジション、バケット風のシートも好印象でした。ZXiと言うグレードは当時のホンダのウリだったVTECではなく普通のSOHCで、実態はスポーツカー風のCIVICだったのですが、気分は上々で東広島からいろいろなところにドライブに行ってましたし、また妻も生活の足として愛用していました。

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ロードスターへの道(1)

別にマツダのロードスターが、と言うわけではなかったのですが、スポーツカーは昔から好きでした。原点は、と言うとおそらくは子供時代。小学校の集団登校で友達で歩いていた時に道行くクルマを見ながら「スカイライン」とか「ブルーバード」とか名前を呼んでいた記憶があるのですが、その時の一番人気はセリカでした。当時(おそらく1970年代)のセリカと言えば、いわゆる「ダルマセリカ」。角張った箱型の国産車が多かった中で丸みを帯びたデザインは、遠くから見てもすぐに分かるようなものだったと思います。

その直後ぐらいに席巻したのは、いわゆる「スーパーカーブーム」でした。ジャンプの人気マンガ「サーキットの狼」に出てくるスポーツカーの数々は衝撃的で、「ポルシェ・カレラ」「ランボルギーニ・ミウラ」「ロータス・ヨーロッパ」など、本物を見たことも無いのにそのスタイルや性能について熱く語る、と言うのが当時の男の子の普通の姿だったと思います。

とは言っても自分でスポーツカーを買えるはずもなく(そもそも親が免許を持ってなかったため、家にはクルマがなかった)、18歳で免許を取ったもののしばらくはペーパードライバー。学生時代にはむしろバイクにはまり、最初に買ったHONDA MB5から初めて新車で買ったKAWASAKI GPZ1100までいろいろなバイクを乗り継ぎました。一方、初めてクルマを買ったのは結婚2年目の時。子供が産まれた時に中古で買った白いブルーバードで、いかにもファミリーカー、と言う感じでした。

 

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