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2011/03/28

黙って仕事しな

Morning001


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2011/03/17

震災から1週間

先週の今日は首都大学に行ってセミナーやGranekとのdiscussionをしてきたのですが、それから1週間はこれまでとは全く違う怒濤の展開でした。

まず震災当日は東京で会議があったのですが、ビルの12Fで感じる地震は他とは全く違う感覚でした。ビルごとゆらりゆらりと揺れてまるで船に乗っているよう。不思議と怖さは感じなかったのですが、それはむしろここで何かあってもどうしようもない、と言う諦観に近いものがあったのかも知れません。

大きなことが起きているとの予感があったので会議は即座に中止され、僕は他の人とは離れてまずは新橋駅に行きました。すると避難してきた人でSL広場はいっぱい。情報が分からないので、閉店中の喫茶店の店内で流れるニュース映像を外から眺めて事態の把握に努めました。その中で突然、「震源は茨城県沖」と言うテロップが流れたのには驚きました。東北が震源と言っていたはずなのに、なぜ変わったのだろう?あの時は、まさか大地震が3連発で襲ってきたなどとは想像すらしませんでした。

新橋駅前の巨大スクリーンは、当初は宣伝ばかり流していて何の役にも立たず問題だな、と思ったのですがそれはさておき。1時間ほど経っても山手線が復旧する気配はないので、とりあえずは東京駅に歩いて行ってみました。高速バスの状況を見たかったのですが、どうやらそちらも動いていないので更に秋葉原へ。しばらく様子を見たもののTXは当日中の復旧は無いとのことだったので、その辺で腹ごしらえをして歩いて北に向かいました。そして10時過ぎに金町の親戚の家に着いて1泊。翌日はノロノロ運転&ぎゅうぎゅう詰めの常磐線で取手まで行き、最後は臨時バスでつくばセンターまで移動してほぼまる1日かけて帰宅しました。

帰ってみると地震で落ちて割れた食器や本が散乱して、自宅は足の踏み場もない状態。また恐怖の一夜を過ごした家族は余震に脅えていて、すぐにでも逃げ出したいような様子を見せていました。更に地震当日からの断水でトイレにも入れないと言う状況だったので、妻と息子は京都に避難して行きました。

日曜日の夕方にはようやく落ち着いたのでKEKに行ってみると、ちょうど震災対策本部会議が行われるところだったので、そこに出席しました。そして加速器などのダメージが大きそうであることや、関東地域の電力事情に配慮して必要最低限の電気供給で我慢すること等、厳しい状況にあることを認識しました。

震災から1週間が過ぎて、私の周辺では徐々に復興に向けて進みつつあると思います。つくば市は水道も通ったし、計画停電からも免除されているので普段の生活に大きな不都合はありません。もちろんスーパーにはモノは少ないし、ガソリンも入れれない等不自由なことはあるのですが、クルマが使えなければ徒歩や自転車で移動すればいいし食べ物が少なければ粗食で耐えれば良いわけです。KEKは水も電気も不自由で、被害を見積もることもままならない状態です。でも、住むところも無ければ寒波を凌ぐ暖房機器もない三陸や北茨城に比べれば遥かにまし。今まで会議、会議で追われていた日常は終わり、もう少し人間らしい、あるいは研究者らしい頭の使い方ができるチャンスなのだ、とポジティブに考えることにしています。

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