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2007/01/31

高圧力学会誌の原稿

今日の午前中は、高圧力学会誌の原稿作りをした。原稿書きに入ったのは先週末からで、今日の締め切りに間にあうかどうか心配だったのだが、何とか完成させることができて良かった。ただ、そのおかげで共著者にちゃんと見てもらう暇が無かったのが残念。

午後は山田君の論文に関する議論をメールでしたり、長尾君の論文原稿のチェックをしたりしていたら、メトラートレドの人が顕微鏡用DSC装置の納品に来た。どうせ数人で話を聞くだけだろうと思ったので自分のオフィスの狭いディスカッションテーブルでやったのだが、山本研の人も含めて6人も集まったので狭くて大変だった。

夕方は、まず耐震改修に関する物理第一、第二教室合同の打ち合わせ。続いて学生まで含めて集まる合同教室会議。今日は物一の助教授と物二の助手の人事について投票した。

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2007/01/30

マルチチャンネルアナライザ

午前中は、先週届いていたマルチチャンネルアナライザをパソコンに繋いで動作チェックをした。これまでPC98に差し込んだボード型のものを使ってX線小角散乱のデータ収集をしていたのだが、さすがに将来が不安なので特定領域のお金で買ったのだ。メーカーはPC98用と同じラボラトリイクイップメントコーポレーションで、最近出たMCA600と言う機種である。接続にはUSBとEthernetを選べるのだが、どちらのインターフェイスが長生きしそうか考えて、Ethernetの方を選んだ。

今日はまず古いThinkPadに標準のソフトをインストールし、添付されていたハブ経由でローカルでLANを組んで接続を試みた。ところが標準のソフトはMCAを認識せず。マニュアルに従ってtelnetで繋ごうとしてもだめで、pingしても返事が返ってこない。やむなくメーカーに電話して聞いてみたところ、MCAに設定してあるIPアドレスと同じクラスのアドレスをパソコンに設定しないと認識できないらしい。そんな大事なことは、マニュアルに書いておくべきだと思うのだが。

続いて、LabVIEWからのコントロールを試みた。LabVIEWは教室でライセンスを取っているし、Macでも使えるのでこちらをメインにして使おうと思っていたのだが、肝心のMCA600用のモジュールが見つからない。メーカーに電話して確認して添付のCD-ROMを探したのだが、中には何も無し。もう一度確認したところ、「実はEthernet用のモジュールは現在開発中で、まだできていない」との返答だった。あちらは「完成し次第送ります」と言っていたのだが、だったらカタログにちゃんと書いておくべきだ。この会社は結構良い製品を安く出してくれるので好きなのだが、少々詰めが甘いのが残念と言えば残念。

午後は「相転移・ソフトマターフォーラム」でイオン性液晶の話を聞く。講師は氏家さんと言う化学畑の人で、色々な化合物が次々と登場して、なおかつ話も長かったので少々辟易した。ただ液晶の世界がどういうところかが垣間見れて、それなりに面白かった。

夕方は、まずは山田君の論文原稿のチェック。ずいぶん前にレフリーからのコメントが来たのを延々と直してようやく最終稿に近いところまで来たのだが、これで最後か、と思ったらやはり納得できない部分があったので修正版を書いて送った。またその間に川端君からも論文の修正に関するメールが来たので、こちらはざっと目を通してコメントを送る。更に明日が締め切りの高圧学会誌の原稿を修正して共著者に送ったところでタイムアップ。もう一つの課題として残っている長尾論文までは手が回らなかった。

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2007/01/29

耐震改修に向けて

午前中は、金曜〜日曜にたまったメールのチェックと整理、及び教務関係の雑務などをする。また物理学第二教室でD3発表会をやっていたので、谷森研の学生の発表(小角散乱用のX線カウンターの開発、と言う内容)だけ聞いてきた。

午後はまず1号館北側の見学。我々の建物である理学部5号館は夏から耐震改修工事が始まる、と言うのは前に書いた通りだが、その間の退避場所(の一部)として予定されているのがここだ。今年度は数学教室のある3号館を改修しているのだが、その間に数学の人たちがここを研究室として利用していて、今年度末までに出て行くことになっている。従って来年度になれば大量の空き部屋が発生するわけで、理学部としてはほとんど唯一の退避場所、と言うことになる。もともと化学教室が使っていた建物ゆえかなり汚かったはず(実際我々のグループでこの建物の中に借りている部屋は改装工事が必要だった)なのだが、数学の人たちが改装済みの綺麗な環境で広々と使っているのを見て、何だか羨ましかった。

その後物一のメンバーで集まって、改修後の部屋の使い方に関する打ち合わせ。また、空いた時間で高圧学会誌の原稿の修正をする。これ以外にも山田君の論文の修正原稿、長尾君の論文の修正原稿が届いていて、更に1ヶ月前に自分が投稿した論文のレフリーコメントも来たのだが、チェックしている暇がない。

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2007/01/27

東京から帰る

Mt. Fuji

今日は9時羽田空港発の飛行機で大阪へ。昨夜宿泊した「ホテル末広」は朝食が付いている上に空港への無料送迎もしてくれるので本当に助かる。最近、単に宿泊料の安さよりもこう言うところがホテル選びにとって重要だ、と言うことが分かってきたのは、色々と経験を積んだからなのだろう、きっと。

午後は自宅で原稿書きをする。高圧学会の学会誌から頼まれた原稿なのだが、締め切りは今月末。まだほとんど手が付いていなかったので、さすがに危機感を持って昨日から書き始めた、と言う次第。ただ内容は放射光学会誌のものとほとんど同じで良いはずなので、何とかなるとは思っているのだが...

因みに上の写真は、帰りの飛行機の中から撮ったもの。羽田から西に向かう便は富士山の北側を通ることが多いのでA列に席を取ったのだが、なぜか南寄りのルートだったので慌てて右側の窓まで行って撮影したのがこの写真。これはこれで、素晴らしい眺めだった。

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2007/01/26

中性子散乱実験審査委員会

今朝は6時前に起きて車で大阪空港へ。7時15分発の東京行きに乗って、10時ごろ物性研に着いた。今日は年に一度の「中性子散乱実験審査委員会」(NSPAC)。昨年に続いて委員長ということになっているので、遅れないように来なければならなかった、というわけだ。

最初、この委員会の委員長を頼まれたときには「何も私のような若造がそんなことをしなくたって」と思っていたのだが、実際に委員の顔を見渡してみると、私より年上なのは原研の加倉井さん、新潟大の三沢さんぐらい。(長谷川さんと黒木さんが欠席だったおかげもあるのだが。)他はほとんどが私と同年代かそれ以下のようだ。ちなみに物性研の所員も、吉沢さんが出張だったおかげで私よりも年上なのは柴山さんと山室さんぐらい。中性子の世界も、いつの間にか若返ったものだ。

審査のほうだが、午前中は装置ごとの説明と議論が長びいて、昼食の時間が1時になってしまった。このままで終わるのだろうか、と心配になったのだが、委員の皆さんも同じ危惧を抱いたようで昼食もそこそこに午後の議論を進め、なんと予定の1時間も前の4時半にはほぼ済んでしまった。昨年は順調に進んだはずだったのに予定の5時半に終われなかったので今日中に帰らず東京に宿泊する予定にしていたのだが、こんなことなら日帰りすることにしておけばよかった。

宿泊したホテルは、明朝の羽田からのフライトのことを考えて蒲田駅の近くの「蒲田黒湯温泉ホテル末広」というところ。名前は立派なのだが、中身は普通の(というかかなり古めの)ビジネスホテルである。1泊7000円ほど、という値段相応の外観だったが、中は改装済みなのか結構綺麗だしネットワークも使えるし、その上「黒湯温泉」というのがすごい。何でもこのへんを数百m掘ったら出てくる天然の湯だそうで、「火山性の温泉とは異なり、古生代に埋もれた草や木の葉の成分が地下水に溶け込むことによりできた冷鉱泉」で、名前のとおり本当に黒い。とろりとした感触はお肌にも良さそうな感じだ。これまで蒲田では他のホテルに泊まっていたのだが、今度からはここを贔屓にしよう。

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2007/01/25

D3発表会

今日は物理学第一教室のD3発表会。博士課程の標準の年限を終えた学生の総まとめの発表を、一日かけて行った。議論を含めて1人30分。全部で19人が発表すると言うことで、朝の9時から夜の7時半までかかった。またその後「指導認定」等の書類を作らなければならないため、専攻の会議を8時半ぐらいまでやった。

朝はその発表会を抜け出して、まずは来週の「熱力学」の試験問題をプリントアウトして、吉田キャンパスまで持って行った。また午前中の遅い時間帯には研究室のスタッフで集まって、今年度と来年度の予算の使い道について議論した。

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2007/01/24

避難場所の候補

この前書いたように、来年度物理教室は耐震改修工事が行われることになったので、我々住民はその間どこかに避難しなければならない。そのためのスペースは学内には限られているので、各研究科ごとに行き先を探さなければならないらしい。と言うことで我々は色々な伝手を頼って場所を探しているのだが、今日はそのための候補となる場所を2ヶ所視察してきた。1つは下鴨神社の西に隣接する「生産技術研究所」(とか言う名前だったと思う)で、もう一つは川端通り沿いの「近畿地方発明センター」である。前者は京大工学部に関係する研究所なのだそうで、プロジェクト用の実験室を沢山持っているところだった。一方後者は地方の財団らしく、マンションの1階と地階に実験スペースを持っていて有料で貸し出しているとのこと。どちらも実験スペースとしてはそう悪くはないのだが、問題は借りる資金。前者は年間10万円/坪、後者は月に2000円/平方メートル取られるそうで、国からお金が出るかどうか分からない現状を考えればなかなか厳しいものがある。ここを借りたからと言って十分なスペースが取れるわけではないし、授業や会議などの都合を考えれば大学から離れたところに住むのも大変だし...と言う事で、この問題が解決するためにはまだまだ時間がかかりそうだ。

午前中は色々と雑用をしつつ、山田君の論文の英文校閲の結果をチェックしたりする。夕方は専攻運営委員会に出席し、そのあと太田さん、北畑さんと一緒に北大電子研から来ていた西浦さんの接待?をした。

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2007/01/23

湯川秀樹生誕百年

日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹の生誕から今日がちょうど100周年。と言うことで今日の午後、時計台で記念式典と講演会が行われた。ここではまず2001年にノーベル賞を受賞した野依良治さんが講演。名大の化学、と言うことで一見湯川・朝永と縁がなさそうな野依さんだが、実は両親がドイツからの引き上げの船で両名と一緒だった事や、そのおかげで湯川さんのノーベル賞受賞の時に家で大騒ぎをしていたこと、だから野依さん自身が湯川さんに憧れていたこと等について語った。続く講演者は2004年にノーベル物理学賞を受賞したMITのウィルチェックで、湯川の中間子論や朝永のくりこみ理論がどのように今につながり、ウィルチェックの理論に発展したかと言う話をした。最後はユネスコ事務局長の松浦さんが、彼の権限で作った「湯川メダル」に因んだ話をした。そしてその後は記念祝賀会が行われ多くの「大物」が列席していたようなのだが、私は誰が誰やらさっぱり分からなかったので、物二の中村さんや谷森さん、基研の延輿さんらと色々と話をした。ただ、実を言うとこの3人との話がなかなか楽しくて、もしかしてノーベル賞受賞者の講演よりも為になったかも知れない。

午前中は桂キャンパスへ行って工学部の今中研を訪問。現在進行中の協同研究に絡んで、物理教室の耐震工事中にどのへんにどの装置を移設して研究を発展させるか、と言うような話をしてきた。

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2007/01/22

課題研究調整会

午前中は主にデスクワーク。山田君の論文についてのレフリーコメントに対する返事の添削を行った。昼は組合支部の「旗開き」に出て、夕方は建物の耐震改修に関する物理学第一教室の打ち合わせ。更に夜は課題研究の調整会があった。先週、うちの課題研究の志望者との面談をし、抽選なども行って定員の4人に絞っていたのだが、今年から調整会の方式が変わったためもう一度やり直すことにした。が、幸い大きな混乱も無く再調整は無事終了。3回生のみんなの協力のおかげだ。どうもありがとう。

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2007/01/21

センター試験の監督

今日は午後からセンター試験の監督だった。担当したのは「特別な配慮」を要する受験生の部屋で、受験生が1人に対して監督が2人と言うことになっていた。が、その人は「数学2」「理科2」「理科3」の3科目はどれも取ってなかったらしく、試験会場に行ったものの受験生は不在。私は誰もいないところにしばらくいて、あとはオフィスに帰るだけだった。業務だから仕方がないとは言え、少々釈然としない思いが残った。

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2007/01/20

センター試験初日

今日はセンター試験の初日。今日は私の業務は無いのだが、私的な用もあったので大学まで出かけた。そのついでに2時間ほど研究室で仕事をして帰る。今日は研究室に誰もいなかったので、試験問題を作るには最適の日だった。

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2007/01/19

課題審査

数日前に明らかになった物性研中性子の課題審査だが、今日がその「本当の締め切り」。なので午後いっぱいかけて、次々と申請書を読んで評価を書いた。とは言え、与えられた23件のうち勤務時間内にできたのは10件ほど。昨日までに済ませたものも含めて、まだ5つぐらい残りがある。締め切りを守るためには、これからまた自宅でやらなければなるまい。

午前中は来週大事な発表をすることになっているD3のTN君、SW君の発表練習を行った。二人とも良い研究はしていると思うのだが、問題はそれをどうアピールするかということ。本番までのよりいっそうのシェイプアップが必要だろう。

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2007/01/18

授業2つに会議3つ

朝、研究室に着いてまずはメールをチェック。長尾さんから論文の直しについてのメールが来ていたので、大急ぎで読んでコメントを送る。続いてCOE事務局に行って経理関係の打ち合わせをし、自転車で吉田キャンパスへ。今日が「熱力学」の講義の最終回なので、まずは12月初旬に行った中間テストの答案を返却。そして自由エネルギーと相平衡についての話をした。これまで裳華房の「熱力学」をテキストにして順番に説明してきたのだが、序盤に丁寧にしすぎたからか最後まで説明しきれなかったのが残念。

講義終了後にまた大急ぎで北部に戻ってCOEの委員長会議に出る。そろそろ年度末なので今年度の決算と来年度の予算を考えなければならず、経理委員長としてはもう少し真面目に働かなければならないようだ。

会議が1時過ぎに終ったのでいったん研究室に戻り、夕方の授業のための準備をする。ある程度目処が立ったので教授会に遅れて出席し、戻ったら既に始まっていた第一専攻に行く。そこで吉川さんに代わって学位審査の報告をし、また慌てて講義室に行って「やわらかな物理学」の最終回の講義をする。これも何とかクリアして、怒濤のように忙しかった1日がようやく終った。

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2007/01/17

課題研究の面談

昨日から今日にかけて、課題研究Q8に志望してきている学生の面談を行っている。今年は4人の枠に対して希望者は9人。半分以上を振り落とさなければならない計算になる。できることなら無理やり5人を排除するのではなく納得の上で他に移ってもらいたいので、2日かけて9人全員と個別に話をして、こちらがどのような考えで学生を受け入れようとしているのか説明した。基本的には全ての学生に「本格的な研究は修士課程に入ってからしかできないのだから、課題研究はどこを選んでも同じ。むしろ色々な研究室の空気を吸ってきた方が良いのでは?」とアドバイスしたのだが、果たしてどれだけの学生が納得してくれただろうか?

昨日は、物性研中性子の課題審査の締め切りが既に過ぎていることが判明した。あちらの主張によると審査依頼のメールは先月出しているらしいのだが、私は見た記憶が無い。何でも12/11に送ったとのことだが、メーラを検索してもそのへんに該当するメールは来ていない。あちらはメールを出した、こちらは受け取っていない、と言う水掛け論になった場合、果たしてどちらが責任を負うことになるのだろう?

と言うことには(一応)関係なく、なるべく早く(金曜日が最終のdeadlineらしい)課題審査を行うべく昨日から今日にかけていくつかこなした。それにしても見なければならない申請は23件。他に業務が色々ある中で、果たして全部を済ませることができるのだろうか?

その他、いつものように昨日も今日も仕事が目白押し。昨日の午後は現課題研究の学生のそれぞれのまとめ方についての議論を行う。また今日は、明日の「熱力学」と「やわらかな物理学」の授業のための準備に時間を取られた。

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2007/01/15

仕事満載の一日

午前中は物性研の中性子散乱の共同利用のactivity reportを書いた。書いたのは良かったのだが、後からもう一度見直してから提出しようと思って作業を中断して、もう一度サーバを見たらなんと消えてしまっていた。どういうことなのかさっぱり分からないので、activity reportの作成は中止。幸いチェックのために作成したPDFファイルが手元に残っていたので、中途半端ながらそれを提出して済ませてしまった。

午後は課題演習で集まって、今後の方針について議論した。その後、来年度の課題研究Q8を志望している学生3人と面談をする。今年は定員が4人のところに9人が希望してきているので、その中から5人には何とか他の研究室に行ってもらわなければならない。なるべく納得した上で動いてほしいのだが、果たしてうまくいくだろうか。

その後、1時間ほど研究室のスタッフで集まって研究室運営に関わるいろいろなことについて打ち合わせ。夕方は、今度は物理教室のスタッフが集まってキャンパス内で空いている部屋を見せてもらいにいくつかの研究室を訪問する。その後、その部屋を含めてどのように使うか、あるいは改修後にどの部屋を使うか、などについて議論する。耐震改修工事開始まであと半年。これからはこの種の仕事がどんどん増えてくるはずだ。

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2007/01/14

研究者への道(6)

山田先生が行ったのは東大物性研の中性子回折研究部門、と言うところで、文字通り中性子回折を中心に研究しているところだった。私は修士課程からD1までずっと液晶を顕微鏡で見ていたので「中性子回折」と言ってもさっぱり分からず、物性研の助教授だった吉沢さんやお茶大の院生だった有賀(香取)浩子さんの実験の手伝いをしに行った、と言うのが中性子との「なれそめ」だった。その後この手法が自分のメインの実験手法の一つになって行くわけだが、その当時はまさかそんなことになるとは思ってもいなかった。

因みに当時私の机の隣にいたのが当時星埜研の助手だった高重正明さん。ちょうど酸化物超伝導体を発見したばかりのベトノルツとミュラーのところから帰ってきたところで、タッチの差で彼らの第一論文の共著者になり損ねた、と言う話を聞いた。仮にもう少し前にスイスに行っていたら一緒に高温超伝導の発見者になっていたかも知れず、となればノーベル賞も一緒に受賞していたかも知れなかった、とのこと。高重さん自身は別に惜しいような顔もしていなかったのだが、もしそうなっていたら彼の人生もずいぶん違ったものになっていたのかも知れない。

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2007/01/13

研究者への道(5)

博士課程に進学するとき、最も印象が深かったのは「予備審査」というもの。これは博士課程の進学希望者がM2の冬に、一人ずつ半日ぐらいかけて先生方にみっちり絞られる、と言うものだ。こういうのは博士論文の審査のときにやるのは普通だが、修士課程の学生に対して、というのは私が知る限り阪大基礎工だけである。修士論文を書いたか書かないか、という段階の学生は研究者としてはまだまだ半人前だと思うのだが、そういう段階でseniorな研究者が数人でよってたかって苛めたら沈没するのが当たり前。当然のことながら私も散々にやられてかなり落ち込んだものだが、ただこれでいろいろな意味で度胸がついたのも事実だ。阪大では今でもそういうことをやっているのだろうか?

そんなこんなで何とか博士課程に進学し、最初の1年はまた液晶を使っていろいろと遊んでいた。強誘電性液晶はとりあえず終わったと考えて、次に取り組んだのはネマティック液晶。電場をかけたときにできるロールパターンを見ていた記憶があるのだが、これも結局ものにならず。むしろD1の年は、別の意味で激変の年となった。

それは山田先生が、突然東大物性研に移ることになったことだった。私が実質的に指導を受けていたのは野田さんだったし、また藤井先生もいたのでそのまま阪大にいて研究を続けるという選択肢もあったのだが、山田先生から私だけが「東大に行かないか」と言われたのだから仕方がない(?)個人的に東京に行きたい理由もあったので、私は東京に引っ越してD2から始まる2年間、当時六本木にあった東大物性研に「特別研究学生」として通うことになった。

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2007/01/12

新しいVAIO

今日の午後、科研費で注文した新しいVAIOがとどいた。SAXSの一次元カウンターのデータを取り込むためのマルチチャンネルアナライザを注文中なのだが、そのコントロール用のPCだ。Photon Factoryで実験するときに持って行こうと思っているので、そのためにはなるべく軽いパソコンを、ということで選んだのがこのVAIO type-G。2スピンドル機なのに1kgを切る重さ(のはず)に引かれた、というわけだ。

研究室でも自宅でもずっと(もう20年近く)Macを使ってる私だが、実を言うとWindowsマシンもこれまで何度も使おうとしてきた。というかもともとMS-DOSの時代にはPC98を使っていたし、Windows 3.1が出たときにはVisual CとVisual BASICでソフトを開発するためのマシンとして結構真面目に使おうとしていた記憶がある。その後Windows95の時にはVAIOの薄いノートを研究費で買って良く使っていたし、ショップブランドの組み立てPCを購入してLinuxでサーバを構築して使っていたこともある。数年前にはSOTECのパソコンを自宅で買って、いろいろとカスタマイズしながらビデオレコーダーとしても使っている。なのでMacばかりでなく結構「PC」も使っているのだが、あいにくなことにこれまでいつも使い勝手の悪さに辟易して途中で投げ出していた。ということでこのVAIOは、私にとってPCへの再々々々...チャレンジである。

午前中は名古屋大の滝口さんを招いての研究室セミナー。細胞サイズリポソームの中に細胞骨格の材料であるアクチンのネットワークを作らせてリポソームの形状を制御しよう、という話で非常に面白かった。一方、午後は物理第一教室の会議が2つあった。

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2007/01/11

エントロピーと表面張力

今日の午前中は「熱力学」の講義。今日はエントロピーの概念の熱力学的な導入を話して、統計力学的な考え方との関係について説明した。

夕方はリレー講義の「やわらかな物理学」の自分の担当分の2回目。前回、Don Petitさんによる宇宙船内での実験のビデオを見せたのだが、その意味を理解してもらうために表面張力の概念について説明した。またついでに界面活性剤についてもちょっとだけ話した。

午後の時間はその「やわらか」の講義の準備をしつつ、末崎先生から頂いた「脂質膜の物理」をぱらぱらと読んだ。末崎先生は日本のソフトマター物理の草分けの1人で、まだほとんど誰も興味を持っていなかった時代から界面活性剤や脂質膜などについて研究していた。一昨年佐賀大を定年退職されて趣味の世界に生きていると聞いていたが、このように自分の研究をまとめた教科書を書いていたとは。末崎先生には本当に頭が下がる。

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2007/01/10

廃液処理

今日は昼から「環境保全センター」へ行って無機廃液の処理に行ってきた。これは廃液の中に含まれている有害な重金属元素をフェライトの中に取り込んで無害化してしまおう、と言うリサイクル技術で、京大では30年ほども前から実用化されているのだそうだ。もっとも作ったフェライトを実際に使う、と言うルートが無いおかげで、本当に「リサイクル」しているわけでもないらしいのが惜しい。

その他の時間は、主に明日の授業の準備に時間を費やした。

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2007/01/09

浅井先生の通夜

4回生の課題研究でお世話になった浅井先生が1/7の朝永眠された、との連絡が届いた。享年84歳。ガンを患っていて闘病生活の末の事だった、とのことだが、年齢的に大往生と言っても良いであろう。明日の告別式には仕事の関係で出席できないので、天神橋筋六丁目駅の近くの斎場で行われた通夜に出席してきた。それしても浅井先生については先日研究者への道(2)で書いたばかり。それまでめったに思い出すことも無かったのに、何か虫の知らせのようなものがあったのだろうか。

午前中は書類書きとKS君の論文のゲラのチェック、それに長尾君の論文についてのレフリーコメントのチェックなど。午後は学部の放射線管理関係の委員会に出席した。

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2007/01/08

研究者への道(4)

私が大学院生だった20年前と言えば、パソコンもまだ8bitの時代。(パソコン、と言わずにマイコンと言うことの方が多かったような記憶がある。)当然インターネットなんて無かったし、e-mailを使っている人もほとんどいなかった。情報を得ようと思ったら雑誌(論文を含む)を見るしか無かったし、誰かとコンタクトしようと思えば電話をするかお手紙を書くしか無かった。学会や研究会だって今みたいに頻繁ではなかったような気がするし、だいたい物理学会以外の学会に学生が出席するなんてことはめったに無かった。

また、前述したように液晶をテーマにして研究室で実験しているのは私だけだったので、研究室の先輩や同級生と議論しながら、と言うわけにもいかない。だから修士時代の研究は、かなりの部分自分の力だけで進めざるをえなかった。液晶を扱うノウハウを名大の折原さんから教えてもらったり、SmC*相のカイラリティに由来する縞模様の一様なドメインを得るために朝山研の北岡さんに巨大な電磁石を貸してもらったり、画像処理専用のコンピュータ(確か東芝のTOSPIXと言うマシンだった)を使うためにイメージセンターと言う施設に行ったり。進みが悪くて野田さんからかなりハッパをかけられたり、あるいは「関西誘電体研究会」と言うところで発表して大失敗したり、ということもあったが、とにかく一応修士論文を書けるだけのネタは揃える事はできた。ただ当時はどのように投稿論文を書き上げるものなのか、その道筋が全く分かっていなかったし、だいたい修士の学生が英語で論文を書く、だなんて思いつきもしなかった。だから結局強誘電性液晶に関する仕事は修論を書いただけで終わり。仮に今、私自身が当時の自分の指導教官だったなら、とにかく論文を書かせる方向で指導したと思うので、それだけが残念ではある。

そんなこんなで何とか修士課程の2年間を無事終えて博士課程に進学することにしたのだが、修士での仕事で大きな手応えを得たわけでも無かったのに、なぜ進学を選んだのか。それも親からの仕送りは打ち切られ、山田先生からは「博士号を取っても就職は無いかも知れないけどそれでも良いのか」と念押しされたのに、である。実を言うとそのへんの事情はちゃんと覚えていないのだが、普通の就職をする気にはあまりなれなくて(だから同級生が会社訪問などをしているのを横目で見ながら何も就職活動をしていなかった)、とにかく物理学者になりたいと言う高いモティベーションがあって、そして当時付きあっていた彼女(後の妻)がそんな思いを応援してくれたからではないか、と思う。またその一方でアルバイトでやっていた塾講師の収入が大きくその仕事もそれなりに面白かったので、いざとなったらそっちの道に進めばいいや、ぐらいに思っていたのかも知れない。ここらへんもまた、今から思えば私の人生にとって大きなターニングポイントだったのである。

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2007/01/07

研究者への道(3)

私が行った当時の阪大基礎工の物性物理工学科(略して「物性」と呼んでいた)と言うところはなかなか凄いところで、物性物理学の「巨星」と言われるような人たちが大勢在籍していたのである。低温と磁性の長谷田泰一郎先生。金属学の藤田英一先生。理論では中村伝、吉森昭夫、望月和子の各先生。もう一つ若い世代には那須三郎、天谷喜一、小野寺昭史、北岡良雄ら後にそれぞれの分野で大家と言われるようになる人材がいた。そして、私自身は行くまでそのことをほとんど知らなかったのだから、恐れ入ったものである。

これらの先生方には色々な場面で教えを受けたのだが、特に印象が深いのは長谷田先生だった。物性ではM1の学生を全員集めて週に1度「M1コロキウム」と言う授業をやっていて、そこではM1の学生が毎週2人ずつ交代で発表しつつ議論を行うのだが、この授業の担当だった長谷田先生はいつもいつも非常に基礎的な質問をして下さった。我々学生は最初は気後れしてあまり質問もできなかったのだが、長谷田先生ほどの人でさえ簡単な事を聞くのだから、我々が聞いても大丈夫、と言う感じでどんどん活発に議論できるようになったものだ。どんな小さなことでも疑問を分からないままにしておいてはいけない、と言う研究者としての基本姿勢を教えてもらったような気がする。

また私が所属したのは山田安定先生の研究室だったのだが、山田先生も誘電体と金属、特にX線や中性子を用いた構造相転移の研究については第一人者で、私が行った頃はちょうど50代に差しかかったばかりの脂の乗り切った頃だった、と思う。因みにその研究室の助教授は、後に東大物性研の中性子散乱研究施設長や中性子科学会会長等を務めた藤井保彦先生。助手として在籍していたのは、現在東北大教授の野田幸男さんとお茶の水女子大教授の浜谷望さん。考えれば考えるほど、凄い環境にいたものである。

そこで最初に与えられたテーマは、「強誘電性液晶の電場によるパターン変化」と言うものだった。これは言わば「ソフトマターの非平衡状態」に関する研究で、現在私が研究していることに直接関係しているのだが、しかし「山田研」の流れからすれば全く異質なものだった。なぜそんなテーマを与えられたのか。おそらくそこには、山田先生なりに今後進んで行くべき方向、のようなものに対する直感があったのではないだろうか。

そんなわけで研究室で全く新しいテーマを始めた私は、野田さんと一緒に阪大工学部の吉野研究室(因みにその時応対して下さった院生の尾崎さんは、今やその研究室の教授だそうだ)に行ったりして情報を集め、顕微鏡やビデオカメラなど必要な装置を買いそろえて、修士課程での研究をスタートさせたのである。

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2007/01/05

スパムメール

今日から通常業務。午前中は年末年始に届いたメール(全部で500通近くあった)からスパムメールを分類削除する作業を行った。最近届くスパムメールのほとんどは「出会い系」「エロサイト」「単なる宣伝」のどれかなのだが、全2者は日本語で、最後のは英語で届くことが多くサブジェクトを見れば半自動的にスパムアウトできる。と言うことはロジックさえ作ればソフトにでもできるはずで、実際私が使ったメーラのうちThunderbirdのスパムチェックはかなり優秀でかなりの精度で弾いてくれる。一方、仕事で使っているEudoraはver.6.0の時には良かったのだが、ver.6.2にバージョンアップしたらなぜか確率が落ちてしまった。全く同じ設定ファイルを使ってやってみても6.0と6.2では結果が違うのだが、いったいどうしてなんだろう。因みに教室のホームページからはメールアドレスを探して自動的に取得する、と言うことができないようにしてあるはずなのだが、現状では焼け石に水。おそらくどこかの業者が大学関係のHPを丹念に見て回って、そこで見つけたアドレスを一覧にして売る、と言う商売をしているのではないだろうか。となると、メールアドレスを公開している限り(そして、公人たる我々がメールアドレスを隠すわけにはいかない)スパムメールは避けることはできない、と言うわけだ。

それ以外の仕事は、午後の第一専攻会議といくつかの書類作りで終る。

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2007/01/04

御用始め

今日はやや遅めに出勤して仕事をしようとしたら、なぜかネットが繋がらずメールの読み書きもできなかった。やむなく数時間書きものをしただけで、あとは学生たちと「新年会」をした。

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2007/01/03

研究者への道(2)

阪大基礎工の大学院に進学した理由は、もちろん京大に落ちてそこしか行くところがなかったからなのだが、それよりも院試に落ちた直後に浅井先生に相談に行った時に「あなたは阪大に行きなさい」と言われたのが決定的だった。浅井先生と他に話をした記憶はほとんど残っていないのだが、この冷たい宣告(と、当時は思った)は非常に印象的で、これを聞いて私は「いずれ京大を見返してやるぞ」と思ったものだった。とは言え「相転移」をメインテーマにしたいと思っていた私にとっては、実は京大理よりも阪大基礎工の方が適していた、と言うのは後から分かったこと。そう言う意味では、浅井先生の忠告は極めて適切だった、と言わざるをえない。

因みにその浅井研での課題研究でやったこと、と言えば、同級生の川口昭夫君と一緒にエイコサンの結晶を走査電子顕微鏡で見て、その写真を撮っただけだった。京大理学部の伝統のおかげで卒論を書くこともなく(つまり「研究」の名には値しない)課題研究の単位をもらい、高校の理科教員の資格ももらって、学ぶことの多かった京都の4年間を無事終えて大阪に移ることになった。

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研究者への道(1)

今年の年始はどこにも行かず、何もせずの日々で暇なので、少々「自分史」を語ってみたい。

私が物理学者を志したのは高校生の時だったと思うのだが、きっかけは中学3年生の時だった。同級生から紹介されて読んだ相対性理論に関するブルーバックス。たぶん都筑卓司さんか佐藤文隆さんの本だったのではないだろうか。光の速さに近づけば近づくほど質量が重くなり、長さが短くなり、そして時間が伸びる、と言う話は衝撃的だった。高校時代の「物理」と言う科目は全然面白くなかったのだが、きっと大学に行ったら面白い「物理学」が学べるだろう。物理と言えば、湯川・朝永を生んだ京大理学部。今から思えばそんな非常に単純な理由で、志望校を決めて受験勉強に邁進していたのだった。

田舎の県立高校での生活と京大での学生生活の落差は想像以上で、それに絡んだ面白い思い出は多々あるのだがそれはさておき。「研究者への道」と言う意味で一番大きかったのは自主ゼミだった。当時理学部には「自然科学ゼミナール」と言う学生組織があって、自主ゼミの結成や運営方法などについて上回生から新入生へのアドバイスをするルートができていたのだが、これには本当にお世話になった。一番最初にやった「解析概論ゼミ」こそテキストのつまらなさに頓挫したが、その後はゴールドスタインの「古典力学」(やたら難しかったので、後で別のテキストに変更した覚えあり)や内山龍雄の「一般相対性理論」(1年やってテンソル解析までしか進まなかった)などなど、授業にはほとんど出ずに自主ゼミばかりやっていた。

中でも印象深いのは砂川の「理論電磁気学」のゼミだ。確か2回生の時だったと思うのだが、金山さんや養老さん、倉重さんなど1年上級の物理系の秀才と言われていた人たちと一緒に、琵琶湖湖畔のセミナーハウスに3日ほど泊まりこんで勉強し、議論し、そして酒を飲んで散々語り合った。ハイレベルな議論に付いて行けないことも多かったのだが、非常に刺激になって「京大に来て良かった」と思ったものだった。

もう一つ印象に残っているのが、3回生の時のシッフの「量子力学」を原書で読んだゼミ。同級生同士でやったのだがその中の1人がめちゃくちゃできるやつで、何だかひどい劣等感に呵まれた記憶がある。その1人、と言うのは大栗博司君で、その後京大の修士課程を出た途端に東大の助手になり、超弦理論の有名人となり若くしてカリフォルニア工科大の教授になった、とのこと。さもありなん、である。

ともあれ私も無事3回生になり、物理系に登録して選んだ課題演習がB1だった。これは単に「相転移」と言う名前に引かれただけだったのだが、ここでガツンとやってくれたのが遠藤裕久先生。私の曖昧だった知識を端的に指摘してくれて、相転移とはどういうものか、その本質を教えて下さった。また当時遠藤研の助手だった田村剛三郎先生には、物性実験とはどういうものか、その神髄を教えてもらったような気がする。この課題演習での実験は泥臭く、高校生の頃に想像していたような華々しい「物理学」とは印象を異にするものだったのだが、しかしむしろ私の進路に対する影響は大きかった。なんせそれまで同級生や先輩と接してきて自分より優秀な人が多いものだなー、と感じていて、当初の志望だった素粒子論や宇宙論なんて無理かも、と思っていた矢先である。自分に向いているのは理論よりも物性実験かも知れない。そんな方向性を決定づけてくれたのが、このB1での半年間の経験だった。

(因みに後期の課題演習はA3を選択してそれはそれで面白かったのだが、電気回路とプログラミングのプロみたいな人〜外川浩章君とか〜でないとやって行けない世界だな、と思って高エネルギー実験の道を諦めるきっかけになった。)

そんなわけで4回生の課題演習では物理学第一教室の浅井研究室を選び、X線回折と電子顕微鏡について学んだ。そして十分に準備して大学院入試に臨んだものの残念ながら面接で落とされ(今でも覚えているのだが、物一の面接に進んだ19人の中で落とされたのは3人だけだった)、たまたま受けた(確か友達が受ける、と言ったからつきあいで受けたのだったと思う)阪大基礎工への進学、と言う道を選択せざるをえなくなる。しかし後から考えると、この転換点は私の「研究者への道」にとっては非常に大きなものだったようだ。

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2007/01/02

振替休日か、代休か

今年はカレンダー通り12/29〜1/3がお休みで1/4が「御用始め」となるのだが、その1/4が半強制的に休暇に指定されてしまった。これは12/23に出張が入っていた事が原因。休みの日に仕事をしたら他の日に休むか割増賃金を払わなければならない、と言うのが労働基準法の定めなので、私の勤務日のうち唯一空きがあった(公的な仕事〜授業や会議など〜が無い日だ、と言うこと)1/4に休みを取らされることになった、と言うわけだ。

もともと大学の教員が国家公務員だった時代には休日に出張が入ろうがどうしようが誰も気にしなかったのだが、国立大学法人化により教員もいわゆる「労働者」になり、労働基準法の定めに従わなければならなくなった。それによると「休日」に労働をさせた場合には割増賃金を出さなければならないのが原則で、いくつかの例外的な場合のみ出さなくても良いのだそうだ。例外にはいくつかあるのだが、その一つは「振替休日」が指定されている場合で、私の場合は1/4がこの振替休日に指定された、と言うことになる。

ただ、厳密に言うと私のケースはこの「例外」にはあてはまらないはず。なぜなら本来「振替休日」とは予め決めておかなければならないものであって、後から決めたら「代休」になってしまうからだ。今回、12/23の分の「振替休日」は12/27に指定していたのだが、後からどうしても出なければならない会議が入ってしまい、そのことを申告したところ事務が慌てて1/4を休みの日に指定した、と言う流れになっている。1/4が休日に決まったのは既に休日出勤が終った後なので、法律をちゃんと適用すれば「代休」扱いになり、となると休日出勤に対する手当て(本俸の35%)が出ることになってしまうからだ。(いや、実際に出る可能性もゼロではないのだけれど、このところの京大当局の対応を見ていると出ない可能性が高そう。)

このへん、実を言うと私自身ちゃんと把握していなかったのだけれど、京大当局もあまりちゃんと意識していなかった、と言う可能性が高い。だって私が12/27に「振替休日に働いてました」と申告したのは、その直前に「もし9月〜11月の間に振替休日中の労働の事実があった場合は申告してください」と言う通知があったから、だからだ。つまりこれまでは休日と割増賃金の支払いについて労働基準法通りに運用されていなかった、と言う事が最近分かったのではないかな?

要するに何が言いたいかと言うと、大学は法人化の後もまだまだ混乱しています、ということ。私は別に厳密に労基法を教員にも適用して欲しい、なんて思ってなくて(だから本音を言えば代休も割増賃金も要らない)、むしろ法律に縛られずにある程度自由にできた公務員時代の方が良かった、と思っているのだけれど、これからはそうも言ってはいられないのだろう。自分たちの労働環境はもちろんだが、それ以上に他の労働者、特に事務を担っている職員や秘書さん、更には学生をも含めた労働環境について、もっと敏感でいなければならないのかも。

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