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2006/01/16

友の死

友、と言うよりは「先輩」なのですが、私が学生時代から良く知っているOさんが今日の夕刻亡くなりました。享年(私の記憶が正しければ)45歳。まだ1歳の子供を残しての、早すぎる死でした。

Oさんと知り合ったのは、たぶん私が大学の2回生か3回生の時だったと思います。皮肉屋で、ペシミスティックな人、と言う第一印象だったのですが、しかし実際には社会のことや周囲のことを真剣に考えていて、他人のために働くことを厭わない人でした。大学生協や学生自治会の活動などをしながら、学問の事よりも世の中の矛盾について考えているような人でした。卒業後はとある京都の私学の先生になって、高校生に物理を教えていました。卒業後に京都を離れた私は年賀状をやり取りするだけの関係だったのですが、数年前にようやく結婚した、と聞いて「ああ、あのOさんにもようやく幸せが来たか」と思ったのを、ついこの間のことのように覚えています。

しかし、その頃からOさんの身体は徐々に病魔に冒されていたのでした。肝硬変。肝細胞が再生機能を失って、肝臓が徐々に役に立たなくなって行く病気です。たいてい慢性肝炎から変化することが多いのだそうですが、Oさんは原因不明だったとのこと。何年かはだましだましやっていたものの、ついに昨年、務めていた高校を休職して治療に専念することになりました。

「沈黙の臓器」と言われる肝臓は、自覚症状が出てから治すのは非常に難しいところです。Oさんも治療法を探して、あちこち転院もしていたとか。そしてついに生体肝移植以外は方法がない、ということになって、京大病院に移ってきたのが昨年の8月のことでした。

生体肝移植はドナーがいればすぐにできるか、と言えばさにあらず。肝臓による解毒機能が低下していたOさんは、感染症に罹ってなかなか手術にかかることができませんでした。手足のむくみ。腹に水がたまる症状。黄疸。肝硬変に伴う様々な症状が出る中で、何とか手術まで頑張ろうとしていたOさん。9月の時点で「あと数週間しか保たないかも」と言われながら2か月間頑張って、ようやく11月に手術にこぎつけたのです。

幸い、手術はドナーとなった奥さんも含めて成功しました。Oさんもいくつかの峠を無事越えて、着々と完治への道を歩んでいました。リハビリを続けながら、移植した肝臓が定着するのを待っていました。しかし、ここでもやはり感染症が彼の行く手を阻みました。その上、脳梗塞を起こしてしまって半身が動かなくなり、最後は意識もはっきりと戻らないままに旅立ってしまいました。

移植と言う治療は、再生機能を失った肝臓を治すには最後の手段、なのだそうです。しかし他人の臓器を身体に入れるということは、新たな戦いを開始すると言うことでもあります。だから、移植医療が大変なのは、手術前よりもむしろ手術後。「こんなに手術後が大変だとは思わなかった」と感想を漏らす患者さんも多いのだそうです。ところが私はそんなことは知らなくて、Oさんはすっかり良くなった、と思い込んでいたのです。

今日の夕方、私はたまたまOさんの事を思い出して、ああ久しぶりにお見舞いに行こう、と病院に足を向けました。しかし、それはわずかに遅かった。私が着いたときには、Oさんは既に逝ってしまった後でした。思えば私がOさんのところに行こうと思ったタイミングは、ちょうどOさんが旅立とうとした時だったのかも知れません。最近顔を出していなかった私に対して、たまには来ないといけないよ、と呼び出したのかも知れません。手術の時を待ちながらも、昔と全く変わらない口調で話していたOさん。表面には出さなかったものの、きっとずっと苦しくて、辛い思いをしていたに違いありません。これまでずっと頑張ってきたんだから。自分と家族のために耐えてきたんだから。あとはゆっくりと、お休みください。

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