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2004/09/24

初めての青森(その3)

funenohakubutsukan

 青函連絡船メモリアルシップ「八甲田丸」を運営しているのは「(財)みちのく北方漁船博物館財団」と言う組織らしいのですが、ここはもう一つ博物館を持っています。と言うかたぶんそちらの方がメインで、その名もみちのく北方漁船博物館(別名?「船の博物館」)です。青森駅から歩いて5分の距離にある八甲田丸から地図上ではすぐそばに見えるのですが、歩いて行くと30分ぐらいかかります。バスで行けないことはないけれど、バス停からも歩いて10分ぐらいはかかり、その上バスもめったに来ないという、観光客泣かせの場所にありました。

 その時私はちょうどヒマだったので歩いて行ったのですが、到着したのは閉館の15分前。受付の人が一人いるだけで全く人けがなく、北国の秋の陽は釣瓶のように落ちていく、と言う感じで非常にうら寂しい雰囲気だったのですが、しかし中はなかなか興味深いものでした。漁船、と言うと何となくマグロ漁船のような大きなものを想像していたのですが、ここで重点を置いていたのは北日本に伝わる「ムダマハギ」型の舟。国の重要有形民族文化財にも指定されているという木造漁船とその歴史、作り方の展示は、非常に興味深いものでした。

 因みにムダマハギ、とは木造の準構造船で、北日本特有の木造船の第二段階にあたります。第一段階は山から切り出した1本の木をくり抜いた「マルキブネ」。しかしこれは大きくて太い木がなければできないので、次の段階としてムダマ(船底)のみを一本の木から作り、これに波よけの板を接合した舟が作られます。(これがムダマハギ。)それが更に進化するとシキ(底板)に板を4枚接合した「シマイハギ」になるのですが、とにかくこの頑丈な船底を持つ舟は荒々しい磯浜での漁に昭和の末期まで活躍していたとのこと。その後強化プラスチック製の舟の普及と船大工の減少により完全消失が危ぶまれるようになりましたが、これを保存するために設立されたのがこの博物館、と言う訳だそうです。

 この博物館にはムダマハギ型漁船67隻のほか北前船の模型や木造の底引き網船、中国の帆船の「ジャンク船」やインドネシアの「ピニシ船」、更にはベトナムのザル舟まで置いてあって、生活感にあふれていてなかなか良かった、と思います。青森に行く機会のある方は、ぜひ一度行ってみては。お勧めです。

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2004/09/21

初めての青森(その2)

ringochaya

 青森と言えば津軽。津軽と言えば三味線。自然とか海産物とかりんごとか、青森で期待できるものはいろいろあると思うのですが、個人的に一番期待していたのは実は津軽三味線でした。高橋竹山など著名な演奏家のおかげで、かなり有名になった津軽三味線。広島に住んでいた頃に2度ほど聞く機会があったのですが、いわゆる「チントンシャン」ではなく叩きつける奏法は迫力満点で、やはり地元で生で聞いてみたい、と思っていたわけです。

 調べてみたところ、毎日三味線の公演をしている場所は青森市内で6か所。昼間は仕事なので夜行けるところに限ると4か所あるらしい。その一つ「りんご茶屋」に7時頃「聴けますか?」と電話したらすぐに来い、と言われたので、早速タクシーを飛ばして(と言っても青森駅からワンメーター)行ってみました。

 行ってみると、そこは割合普通の飲み屋さんでした。隅の方に楽器らしきものはあるものの、座敷とカウンターがある手頃なサイズのお店です。カウンターの中では女将さんと若い女性店員が甲斐甲斐しく働いていて、お酒や料理の品揃えも料金もまあ普通。何も特別なものは無さそうな感じだったのですが、しかし8時を過ぎて雰囲気が一変します。何と、それまで働いていた店員さんが皆三味線を持ち、女将さんの音頭に合わせて弾き始めるではありませんか!女将さん自身も民謡を歌うし、板前さんまで出てきて歌うし、もう一家総出。実際、女将さんと店員の1人は実の親子で板前さんも親戚だとのことで、なんかすごくアットホームな雰囲気で三味線を味わうことが出来ました。

 考えてみれば、三味線とか民謡とか言うのは庶民の音楽です。農作業の合間の祭の日や、雪に閉ざされた冬の室内で、みんなで酒を飲みながら歌ったり踊ったりしながら育った音楽だと思います。テレビやCDで聞く三味線も悪くはないのですが、やはり津軽の「庶民」がいてこそのもの。技術的な高さや音色の美しさ等よりも、その音楽に対する「ソウル」を感じた一夜でした。

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2004/09/20

初めての青森

hakkoda

 先週、物理学会出席のため青森に行ってきました。東北出身の私ですが、青森に行くのは初めて。どんな見どころがあるんだろう、と色々な人に聞いてみたのですがいまいち「お勧めスポット」が見えてきません。自分自身のイメージも、「津軽三味線」とか「恐山のイタコ」とか「八甲田山と十和田湖」とか「白神山地」とか青森市からはやや距離のあるところばかりで、学会の合間にちょっと遊びに行くというわけには行かないかもなー、と思いつつ、伊丹発のJAL便に乗りました。

 学会の会場は、青森市郊外の青森大学。私立のこぢんまりとした大学で、初めはなんの変哲も無い学校だな、と思ったものです。しかしこの大学は「青森山田学園」の一つだと聞いてまずびっくり。青森山田、と言えば卓球の福原愛選手が所属する学校というだけでなく、サッカーや野球などが全国大会に出場するなど良く名前を聞く学校です。また進学にも力を入れているそうで、「東大特別進学クラス」と言うのまで作ってやっているとか。是非は別にして、いろいろと活発に取り組んでいる学校だったんですね。

 その青森大学がある場所は青森市幸畑と言う地名なのですが、何でもそこらへんはかつて旧日本陸軍の関連施設があった場所だそうで、近くに「雪中行軍遭難資料館」があります。新田次郎氏の小説「八甲田山死の彷徨」と映画「八甲田山」で知られる1902年の遭難事件(200名余りが雪山で遭難死した)に関する資料館で、今年リニューアルオープンしたものです。この時に遭難した第五連隊の将兵が着ていた装備と同じものが展示してあったのですが、これでー20℃の吹雪の中を行軍していたらそりゃ死ぬわな、と実感しました。

 でも、青森市を特徴づけると言う意味で一番重要なのは、青森が東北本線と奥羽線の終点で青函連絡船の発着地点だった、すなわち交通の要衝だったということでしょう。写真はかつて青函連絡船の一つとして本州と北海道を結んでいたうちの一つ「八甲田丸」と青森ベイブリッジで、八甲田丸は今は連絡船のミュージアムとなっています。88年3月の青函連絡船の廃止から16年。その記憶も徐々に風化しつつある中で、エンジンが動かない状態で青森港に浮いた状態で保存されている八甲田丸は、当初は多くの見学者が訪れたのに最近はかなり減っているとのこと。やや「軽い」印象はありましたが、連絡船に乗ったことのない私にとっても非常に興味深いものでした。

(続きます)

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2004/09/18

はっきり言って「選手会贔屓」です

私は今でこそ「サッカーファン」を公言していますが、何を隠そうかつては熱狂的なプロ野球ファンでした。物心ついたときには巨人ファン。30〜40年前の日本の大多数がそうだったように、野球はイコール巨人だった、と言うわけです。

しかし高校生ぐらいの時に、一回目の大転換がありました。その頃ちょうど「江川事件」があったのですが、その時「何で自分はこんな汚いチームを応援しているんだろう」と疑問に思って、巨人ファンをすっぱり止めたのです。そしてその時に選んだチームが西武ライオンズ。近くに西武百貨店があったと言う、とってもつまらない理由だったように思います。

その「ライオンズファン時代」は、実は結構充実していました。それまで九州の冴えないチームだったライオンズが、フランチャイズの移転を機に常勝チームに成長しつつあった時期です。田淵がいて、石毛がいて、辻がいて、松沼兄弟がいて、当時は若手だった秋山や清原や工藤もいて、広岡監督と森監督の元で「打倒・巨人」を旗印に戦う姿に燃えました。西武球場はもちろん、大阪球場や西宮や藤井寺や後楽園や川崎や、パリーグの球場を中心にどこでも行きましたし、阪神が優勝した年には梅田で徹夜してまでチケットを取って、甲子園での日本シリーズを見に行きました。

その時に必死で聞いていたのが、文化放送のライオンズナイター。「はっきり言って、ライオンズ贔屓です」と言う放送を、雑音と一緒に(関西在住だったので)聞いていたことを昨日の事のように思い出します。

しかし89年の春、就職して広島に住むようになります。それと同時にライオンズに対する熱意は冷め、広島ならカープかな、と思い直した矢先にJリーグが開幕します。どこかに書いたように私はメキシコW杯の頃から「日本にもプロサッカーを!」と望んでいたので、Jリーグが始まったことには心底燃えました。それから10年あまり。私はプロ野球への関心もなくサッカー一筋?で過ごしてきたわけです。

と言う具合に私にとってのプロ野球は既に過去のものとなってしまったのですが、しかしそれでもこの間のプロ野球界のドタバタには関心がありますし、なおかつその上でうんざりしてしまいます。「最初に合併ありき」の経営者側は、10球団の1リーグ制にしたいと言う気持ちが見え見え。近鉄の買収や新規参入についての提案があっても、ほとんど門前払いに近い状況です。5球団で行うパリーグも、10球団での1リーグ制も現状よりも悪くなることが明らかなのに、なぜそれほど拘るのか。そこには既得権益を守りたいという、保守的な論理しか見えてきません。戦前の日本でプロ野球の立ちあげをリードした正力松太郎氏の大志は、いったいどこに行ってしまったのでしょうか?

昨日の労使交渉は結局決裂して、今日からの週末の2試合で選手会によるストライキが決行されることに決まりました。優勝争いやタイトル争いの真っ只中で、敢えて試合を休むと言うのは選手にとっても苦渋の決断であることは間違いないわけで、その責任を選手会のみに押しつける経営者側の態度は噴飯ものです。何でも「損害賠償を請求する」と言っているようですが、もともと雨などでの中止もあり得るプロ野球ですから、中止したことによる実質的な損害は実はたいしたことが無いはずです。

ファンあってのプロ野球を経営者の元から取り戻すためには、既に通常の話し合いではどうしようも無いところに来ているのだろう、と思います。頭の堅い経営者の考えを変えるには、何かドラスティックなことをしなければだめなのだ、と思うのです。 元プロ野球ファンとして、あるいは現サッカーファンとして、私はストライキを支持します。

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2004/09/07

災害の連続

いやー、今回の台風「も」凄かった。先日16号が来て各地に被害をもたらしたばかりなのに、またまたあちこちで大きな被害を出しました。そう言えば一昨日は近畿地方で大きな地震が2回もあって、今日も北陸で地震が起きています。「二百十日」は災害が来る可能性の高い日と言う事になっていますが、それは単にこの時期は台風に襲われる確率が高い、ということ。1回ぐらいならまだしも2回、3回と襲ってきて、その上震度4以上の地震が3回も起きると言う確率は、おそらく非常に低いに違いありません。

 なぜそんなことが起きているか、と言うと自然の摂理だとしか言いようがないのですが、小野不由美さんの「十二国記」風に言えば、「運気が乱れている」と言う事でしょうね、きっと。天に指名されて国を治める王が道を踏み外す。例えば私腹を肥やしたり政治を投げ出したり、あるいは国民に厳し過ぎて心が離れたり、国民の気持ちに合わない政治をした時です。そう言う時、運気が乱れるのです。「触」と言われる災害が起きたり、妖魔が現れたりして国と国民を襲うのです。

 今の日本の支配者が、国民のための政治をしているか、と言うと私にはとてもそうは思えない。誰も望まないイラク派兵をなし崩し的に決めるなどアメリカ追随の外交を進め、そのため?米軍のヘリが住宅地に落ちても何も文句を言えません。それどころか「思いやり予算」を使ってせっせと米兵の住宅を造ったりしています。また「行政改革」は掛け声だけで借金は嵩むばかり。そして年金制度や健康保険制度を着々と改悪して国民の負担額は増える一方で、その上消費税を上げようと言う話まで聞こえてきます。これが天(=国民)の意思と一致している、とはとても思えません。

 まあ、この災害が「王の責任」と言うのは小説の上での話なのでおいときますが、しかしどんな災害でも被害を拡大しないようにするのは国の責任でしょう。例えば高潮や津波が来たときに浸水したりしないようにしたり、大風が吹いたときに変なものが飛んでいったりしないようにしたり、あるいは被害に遭った人を支援したりするのは、国(あるいは地方自治体)がすべきことだと思うのです。だって我々が少なくない税金を払っているのは、個人の力ではどうしようも無いことに手を差し伸べてくれると期待しているから、なのですから。そう言う意味では小泉首相を筆頭とする日本政府には、今回の台風で災害に遭った人に手厚いケアをして欲しいものです。

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