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2004/03/25

東大・京大神話再論

「東大・京大神話」は私が1ヶ月以上前に書いた記事なのですが、ここに今日久々にコメントが付いていました。(uguisuさん、ありがとうございます。)そう言えば今は、後期日程も終わって大学入試も一段落した頃。週刊誌にはそろそろ「東大合格ランキング」なんぞが掲載されて、進学校に序列が付けられる時期です。ちょうどいい機会なので、このブログのネタとしてもう一度取り上げてみたいと思います。

最初に断っておきますが、私は別に東大や京大の存在とそこに入ることを目標にすることを否定しているわけではありません。なんせ私は京大で学生を教える立場なのですから、下手をしたら自分の存在意義を否定する事になりかねませんからね。先の記事でも書いたように、東大や京大がある意味で「良い大学」であることは確かです。そして東大や京大を目標にして勉強することも、悪いことだとは思わない。でもそういう「目標」を、「目的」と取り違える人が少なからずいる事が問題だ、というのが一番言いたいことなのです。

どうして大学に入るか、と言うとそれは勉強するためです。もちろんスポーツのためとか芸術のためとか、あるいは人間関係を作るためなど他にも目的は有り得るでしょう。でもとにかく何らかの目的があって、そのために最適と思われる道の一つとして大学があるのです。アテネ五輪の予選で活躍した平山相太選手は筑波大への進学を選びましたが、それはプロ入りや社会人になるなどいくつかの選択肢から自分の目的にふさわしい道を選んだわけです。東大や京大への進学も、何らかの目的を達するための道の一つであるべきです。

では、東大や京大がどう言う目的に叶っているかと言うと、それは「研究者への道」だと思います。もちろん、学部や学科によって雰囲気は微妙に違うのですが、これらの大学が真っ先に全学部で大学院重点化されたことから見ても、文部科学省も大学自体もそれを求めている、と言うのはほぼ間違いないと思います。そして実際に東大や京大では、多くの学部で「良い研究者を育てる教育」を中心に置いているように思います。だから逆に研究者を目指さない学生にとっては、これらの大学は決して居心地は良くないのではないでしょうか。

研究者になるのが幸せへの道か、と言うとそれはそうとは限らない。(自分で言うのも何ですが。)30歳過ぎまで(下手すると40歳を過ぎても)定職に就けずにいる人も多いし、努力が報われるとも限らないのが研究というものですから。つまり極論すれば、貧しくても好きな研究をしながら生きていくと言う覚悟がなければ、東大や京大に行っても幸せになれないかもしれないのです。

大学に進むということは、一つの「手段」です。自分がやりたいこと、なりたいものがあって、そのために大学に行くのであって、決して大学に進む事が「目的」にはなり得ない。大学に入った事自体では、何を達成したことにもならないからです。高い目標を持って努力するのは結構ですが、受験勉強そのものよりも大事なものがあることを、忘れないで欲しいと思います。

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コメント

こんにちは。瀬戸さんの日記、続いてますね。私もぼちぼちやってます。ふだん見ている日記の中で、同時に同じキーワードで話が出ていたので、御紹介します。

あらきけいすけさんの研究日誌(3月24日)
http://ud037.are.ous.ac.jp/dailylog.htm
かなり観点が違うので、ご参考までにというだけで、コメントを期待するものではありません。私は、あらきさんの感覚に近いです。

投稿: 津村ゆかり | 2004/03/26 05:38

引き続きコメント頂きましてありがとうございます。
大学関係者の方でしたら、ちゃんと肉のあるお話をなさっていたのですね。失礼いたしました。

東大や京大を目指す人たちの中には確かに”何かを学びたい”という気持ちよりも”高いレベルに挑戦してみたい”という意識の方が先行する傾向にある、と私も感じることがあります。特に医学部は偏差値が高いですから、医学にさほどの興味がなくともただ”高いレベルの受験突破”という目標を達したくて医学部に入り、後が続かなくなったという話も耳にします。それではいくら入試突破の実力があっても実際その学生が生きていく上では困るわけですね。意外に医学部に向いていると頑張れるケースもあるかも知れないけれど、何か違う何か違う、といたずらに無意味な大学生活を送るケースもあるでしょうし。

が、大学へはそもそも何故行くのかと言えば難関校であろうと偏差値の低い大学であろうと学生の意識はマチマチなのではないでしょうか。ただ大学生活を送ってみたいから、というこれだって充分な動機だと思います。例えば何となく京大へ通って研究生活の側面を知りうるうちにやってみようと、だんだんに思ったって構わないのではないでしょうか。

受験する前から「研究がしたい」と考える子がいる一方で何となく先輩や周りが京大へ進むからまあ頑張ってみよう、という気持ちで受験して合格する。合格すればそれはそれでひとつの自信に繋がるでしょう。それから人生をゆっくり考えたって遅くはないと私は思います。逆にそれが大学というところ=大学だからこそ許されるところ、じゃないでしょうか。

投稿: uguisu | 2004/03/26 17:00

私は京大薬学部卒で、教授からは大学院に進学して大学に残ってくれるように言われていましたが、家の経済事情で、ある製薬会社の研究所に研究員として入りました。新薬の開発は大変な体力、気力、能力を要するもので、私が開発の責任者になっていた全身吸入麻酔剤のセボフルレンの場合、数年間は、毎日12時ごろまで研究室にいまして、睡眠時間は3時間ほどでした。セボフルレンは1990年に中央薬事審議会で認可され国産初の手術時の全身吸入麻酔剤として市場にでまわるようになり、その性能のよさから、現在、世界でもっとも汎用されています。これらのことから、2000年からニュ-ヨ-ク科学アカデミ-特別会員になっています。私は中3でIQ151でしたので、研究が趣味みたいでしたし、同級生も京大を目指していたので京大に進学しました。友人には大学教授が多いです。

投稿: まさひろちゃん | 2005/03/02 21:05

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