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2004/03/31

ジーコさん辛くないですか?

 細かいことは抜きにして、「神様」とまで呼ばれた人があれほど苦しげな表情でピッチを見つめる姿は、少々辛いものがあります。仮にここで辞めたって過去の栄光が傷つくことは無いのですから、無理に代表監督を続けなくてもいいんじゃないか、と思います。でないと、ジーコさんも日本のサッカー界も本当に傷つくことになるんじゃないかなぁ。

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2004/03/30

航空会社総まくり

総まくり、と言うほどではないのですが、さすがに15年ほど社会人をやっているうちに出張で色々な航空会社を使ったので、乗ったことのあるキャリアに限って参考までに感想を書いてみます。

□まずは日本の航空会社。JASは国際線では乗ったことがありません。

【日本航空】
 さすがに日本を代表する会社だけあって、サービスは抜群。少々高いのはしょうがない、と言えるかどうかは人によるでしょう。
【全日空】
 ここもサービスはgoodで、料金もそこそこ。特にGETは愛用しています。でも、ANA便かと思ったら提携航空会社だった、と言うことが多く、がっかりさせられることも多い。

 若い頃は「せっかく外国に行くのに日本の航空会社を使うなんて」などと思って敢えて避けていたのですが、やはり飛行機に乗ることが目的ではなく外国に行くことが目的である、と考えれば余計なことで気を使わない方がベターでしょう。日本の航空会社は他に比べると少々高いとは思いますが、それだけの価値はあると思います。

□続いてアジア系ですが、2つしか乗ったことがありません。

【シンガポール航空】
 何かのアンケートで「ベストキャリア」に選ばれたことがあるそうですが、それも分かります。新しい飛行機ばかりでサービスも良く、料金も安い。特にエコノミーでもシートテレビが標準なのは良いです。またたいていシンガポールのチャンギ空港で乗り継ぎすることになるのですが、この空港も飽きさせない工夫がいろいろあってgood。ただ、人気のエアラインなだけあって混雑していることが多いのがマイナスポイントかな?

【ベトナム航空】
 今回のハノイ行きで初めて乗ったのですが、短距離便だった(香港-ハノイ)こともあって可も無く不可も無く、というところ。ただせっかくベトナムの料理は美味しいのに、機内食が何の変哲も無い料理(私が食べたときはスパゲティだった)だったのにはがっかり。

□ヨーロッパ系は、メジャーキャリアとマイナーキャリアがあります。メジャーキャリアは直行便が多く、マイナーキャリアは東南アジア経由の南回りが多いようです。

【ルフトハンザドイツ航空】
 ドイツらしく質実剛健。サービスは悪くなく料金も安めだけど、いつも満席のイメージ有り。もっとも、何年か前の帰国便でエコノミーが一杯だから、とビジネスクラスの席を割り当てられてラッキーだったこともあったけど。

【オーストリア航空】
 真っ赤なシートカバーと、スチュワーデスの真っ赤なワンピースが印象的。ただ、それだけです。

【オリンピック航空】
 南回りなので時間がかかるんだけど、安くてフレンドリー。アテネでストップオーバーしてパルテノン神殿を観光する、と言うパターンがお勧めです。時間のある人なら使う価値があると思います。

【アエロフロート】
 乗ったのは旧ソ連の時代なんだけど、本当にディープな体験が出来ました。おんぼろ飛行機と無愛想なアテンダントも凄いんだけど、何と言ってもモスクワ空港でのストップオーバーが凄かった。トランジットホテルは強制収容所かと思いました。今は社会主義じゃなくなってどうなってるのか知りませんが、試す勇気はありません。

【アリタリア航空】【スイス航空】【ブリティッシュミッドランド】
 欧州圏内での移動に使っただけなので、忘れました。(^_^;)

□アメリカの航空会社は、ノースウェスト、ユナイテッド航空、デルタ航空等に乗ったことがあるのですが、どれもあまり良い印象はありません。古い機体に人を目一杯詰め込んで、とにかく輸送すると言うイメージ。機内食はエサと言う感じだし、搭乗員のサービスはお座なりだし、アメリカに行くんじゃなかったら使わないかも。

 最初に書いたように、若い頃は外国に行くなら外国の航空会社で、なんて思ってたのですが、多く経験してみるとやはり日本の会社がいいな、と思います。でも、何と言っても一番いいのは飛行機が空いていること。どんなにサービスが悪かったとしても、席を3つ占領して寝そべりながら外国に行く快適さに勝るものはありません。

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2004/03/29

福岡の日々

今回の物理学会は福岡です。福岡は食べ物が美味しいし安いしで個人的には大好きです。今回もラーメン屋や飲み屋等に何度か行ったんですが、有名なところよりもそうでないところの方がコストパフォーマンスは遥かにいいような。屋台で飲み食いするよりも普通のお店の方が安いし、長浜や屋台でラーメンを食べるよりも、そのへんの適当な店で食べた方が美味しいような気がします。こう言うのが例外が山ほどあるものなので人によって意見が違うのが普通なのですが、どんなもんでしょう?

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2004/03/28

物理学会

今日は九州大学で行われた物理学会に一日中参加して、ついさっきホテルに帰って来たところです。さすがに今日は時間的にも精神的にも余裕が無いので、このブログはお休み、と言うことで。

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2004/03/27

PowerBookのモバイル環境

世間で「モバイル」と言うとたぶん90%近くの人は携帯電話でやっていると思います。でも、私にとっては携帯電話はまだあくまで補助的なもの。ホームページ更新などで長文を書こうと思ったらどうしてもフルキーボードが必要なので、ですから出張などの時にはいつもPowerBookを持ち歩いています。

出先でノートパソコンをネットにつなぐ手段として、一番快適なのはIEEE 802.11(Macで言うところのAirMac)互換の無線LANです。最近では街のあちこちに無線LANが使える"hot spot"ができてきて環境が整備されつつあるのは確かです。でも、実際に使えるエリアはまだまだ限られていて、どこに行っても使えると言うには程遠いのが現状。となると、どうしても携帯やPHSにつないでの接続に頼らざるをえません。

携帯かPHSか、と言うと世間的には携帯で決まりと言う雰囲気ですが、パソコンをつなぐ用途では圧倒的にPHSなのではないでしょうか。DDI PocketのAir H"とNTT docomoの@FreeDが定額制の接続環境を提供しているので、事実上この2つに絞られると言って良いでしょう。私は今のところAir H"。PHSの弱点と言われていた移動中の接続切れやサービスエリアの狭さの問題もほとんどなく、モバイル環境としては悪くない、と思っています。

ただ、弱点は根本的に遅い(標準でわずか32k)ことと混んでいる時間帯に繋がりにくくなることです。特に夜の時間帯に繋がらない、あるいは途中で切れてしまう事が多いのは非常に使いにくい。データ量が増えると遅くなる、と言うのは仕方がないとしても、何かしている時に落ちてしまうのは困りものです。

その他にも充電が不自由な事など理由があって、@FreeDに乗り換えるのもアリかなー、と思っているのですが、問題はPowerBookで本当に使えるのか、と言うことです。docomoは世の中からMacが消えてしまったと思っているのか、あるいはMacを使うような変わりものがdocomoを使うことはないと思っているのか知りませんが、P-inシリーズでは徹底的に無視してくれてます。ネット上でいろいろ探してみると一応使えた、と言う報告が散見されるのですが、たいていJaguar(MacOS 10.2)まででPanther(MacOS 10.3)で使えた、と言うのは見つかりません。Air H"と@FreeDのどっちがいいか。敢えてdocomoを試すだけの価値は、ないかなぁ?

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2004/03/26

ニュースステーション最終回

テレビ朝日系のニュースステーションが、今日最終回を迎えました。(今はまだやってますが。)私もずっと見ていた、と言うわけではなかったのですが、でもニュースの中では一番良く見た番組でした。自民党や政府筋からはずいぶん嫌われたそうですし、止めることになったのも結局はそれなんじゃないか、と言う噂を聞きます。でも「社会の木鐸」としての役目を忘れ権力者に尻尾を振ってばかりのマスコミがほとんどを占める中、与党から嫌われるということ自体が存在価値があったと言って良いのではないでしょうか。

キャスターの久米さん。脇を固めた小宮悦子さん、渡辺真理さん。小林一喜さんは、一足先にこの世を去ってしまいました。その他にも思い出に残る人はたくさんいます。ニュースステーションの18年間には言いたいこともたくさんありますが、まずはありがとう、と言いたいと思います。そして長い間お疲れさま。

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2004/03/25

東大・京大神話再論

「東大・京大神話」は私が1ヶ月以上前に書いた記事なのですが、ここに今日久々にコメントが付いていました。(uguisuさん、ありがとうございます。)そう言えば今は、後期日程も終わって大学入試も一段落した頃。週刊誌にはそろそろ「東大合格ランキング」なんぞが掲載されて、進学校に序列が付けられる時期です。ちょうどいい機会なので、このブログのネタとしてもう一度取り上げてみたいと思います。

最初に断っておきますが、私は別に東大や京大の存在とそこに入ることを目標にすることを否定しているわけではありません。なんせ私は京大で学生を教える立場なのですから、下手をしたら自分の存在意義を否定する事になりかねませんからね。先の記事でも書いたように、東大や京大がある意味で「良い大学」であることは確かです。そして東大や京大を目標にして勉強することも、悪いことだとは思わない。でもそういう「目標」を、「目的」と取り違える人が少なからずいる事が問題だ、というのが一番言いたいことなのです。

どうして大学に入るか、と言うとそれは勉強するためです。もちろんスポーツのためとか芸術のためとか、あるいは人間関係を作るためなど他にも目的は有り得るでしょう。でもとにかく何らかの目的があって、そのために最適と思われる道の一つとして大学があるのです。アテネ五輪の予選で活躍した平山相太選手は筑波大への進学を選びましたが、それはプロ入りや社会人になるなどいくつかの選択肢から自分の目的にふさわしい道を選んだわけです。東大や京大への進学も、何らかの目的を達するための道の一つであるべきです。

では、東大や京大がどう言う目的に叶っているかと言うと、それは「研究者への道」だと思います。もちろん、学部や学科によって雰囲気は微妙に違うのですが、これらの大学が真っ先に全学部で大学院重点化されたことから見ても、文部科学省も大学自体もそれを求めている、と言うのはほぼ間違いないと思います。そして実際に東大や京大では、多くの学部で「良い研究者を育てる教育」を中心に置いているように思います。だから逆に研究者を目指さない学生にとっては、これらの大学は決して居心地は良くないのではないでしょうか。

研究者になるのが幸せへの道か、と言うとそれはそうとは限らない。(自分で言うのも何ですが。)30歳過ぎまで(下手すると40歳を過ぎても)定職に就けずにいる人も多いし、努力が報われるとも限らないのが研究というものですから。つまり極論すれば、貧しくても好きな研究をしながら生きていくと言う覚悟がなければ、東大や京大に行っても幸せになれないかもしれないのです。

大学に進むということは、一つの「手段」です。自分がやりたいこと、なりたいものがあって、そのために大学に行くのであって、決して大学に進む事が「目的」にはなり得ない。大学に入った事自体では、何を達成したことにもならないからです。高い目標を持って努力するのは結構ですが、受験勉強そのものよりも大事なものがあることを、忘れないで欲しいと思います。

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2004/03/24

IP電話

引っ越しを機会に、ネットワークをADSLにしました。広島では、ISDNとBフレッツ。光回線を引いておきながらISDNを残していたのには理由があって、電話とFAXの番号を分けていたから。つまりインターネットには光回線を使い、電話とFAXにはISDNを使っていたというゼイタクをしていたわけです。京都ではマンション住まいになってBフレッツを引くのは難しいので、アナログ回線に戻してADSLにした、と言う次第です。

光回線からADSLと言うのは回線の種類としては「ダウングレード」なのですが、今のところそれほど遅くなった、と言う実感無く使えています。前のBフレッツが遅すぎたのか、それとも今のADSLが意外に健闘しているのかは分かりませんが、少なくともネット環境については全く問題なく使えるようになりました。

ただ、問題はIP電話の方にありました。ADSLでIP電話を使いたいときは、VoIP機能が付いたADSLモデムを買えばよいらしい、と言うことは分かりました。普通は壁のコンセントにまずスプリッターを付けて電話とモデム(及びルータ)を分けていたのを、今度はモデムをコンセントに直結してモデムからルータと電話を分岐する事になるわけです。でも、アナログ回線を使うのは電話だけじゃなくて、スカパー等のデジタルテレビも使うんです。ISDNの時にはルータにちゃんとアナログ回線用のポートが3つぐらいあって、そこで複数のアナログ機器とパソコンを制御していたわけですが、ADSLモデム(あるいはルータ)にはそう言うのは無いらしい。少なくとも私が調べた範囲ではそうでした。

このへん、疑問に思ってショップでも聞いてみたのですが、例えばIP電話のポートに複数のアナログ回線を繋ぐという方法も、モデムの前にスプリッターをかませてテレビを繋ぐ方法のいずれもうまく行かないらしいのです。つまり、少なくともADSLの場合は、IP電話とデジタルテレビの共存は不可能だ、と言うことになります。これって、本当なのでしょうか?なんかせっかくの最新機器同士が共存できないと言うのは、おかしいんじゃないかと思うのですが。もし誰か解決方法(もちろん、アナログ回線をもう一つ、と言うのはなしね)を御存知の方は、教えて下さい。

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2004/03/23

引率者の責任

例えば高校生が修学旅行に行って、少々羽目を外しすぎたとします。門限を破って外出するとか、他校の生徒と喧嘩するとか、あるいは隠れて酒を飲むとか。普通はそう言うのがバレたら学校の中で処分されますが、でもそれだけでは済まないこともあるでしょう。例えば飲み屋で大暴れして、他のお客に迷惑をかけた、とか。そういう場合はルール違反した高校生が謝るだけでなく、引率者の先生や校長等も責任を取るのが普通だ、と思います。

今回、W杯予選を控えた日本代表の中8人が合宿から無断外出して、キャバクラで遊んでいたことが判明しました。ジーコ監督はこれを受けて「外出するときは許可を得なければいけないというルールを守らなかったことに対する処置」として、シンガポール戦のメンバーから外すことを決めました。これは言ってみれば、上述の高校生と同じです。ルールを破ったから、処分された。その意味では当然のことだとは思います。しかしこの問題が日本中から注目を集める代表に関する問題で、なおかつ世間に大きく知られている事を考えれば、それだけで良しとする、と言うことには違和感を感じざるをえません。なぜなら「引率者」たるジーコ監督やそのスタッフの責任が、全く語られていないからです。

日本代表、と言えばサッカーに関わる者なら誰だって憧れる栄光ある立場です。それがW杯予選の直前に合宿を抜け出すと言う事は、そうそうあることでは無いでしょう。いやむしろ、かなり異常な事態だと言って良いと思います。むしろ選手がそうせざるを得なかったそれなりの理由があった、と考えるのが自然だと思います。もちろん、ルール破りは良いことではありませんが、それを管理する側にも当然責任があると言うことを、ジーコ監督とサッカー協会にはちゃんと自覚して欲しいし、公の場で説明して欲しいと思うのです。

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2004/03/22

引っ越しの効用

3/16の記事で書いたように、今回の引っ越しは一軒家からマンションへの「ステップダウン」です。居住面積が2/3になり庭と物置がなくなって、いろいろと荷物を処分しなければならなくなったわけですが、しかしおかげで随分シェイプアップできたように思います。と言うか、家が広かったら広かったなりに荷物が溜まるもので、改めて家全体をチェックしたらいかに無駄の多い生活をしていたか、が分かったように思います。引っ越しはお金も労力もかかって大変なのですが、たまにはいいかも知れません。

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2004/03/20

totoの行く末

Jリーグの勝敗を予想して賞金が当たる、と言うtoto。サッカー人気向上の起爆剤として、またスポーツ関係施設の充実のためにと言うことで期待の声も多かったように思います。しかし、現実はどうだったか。totoゴールの導入やコンビニでの販売などの改善策が施されましたが、売り上げはじりじりと落ちているとか。今年から1等当選金の最高額が2億円になりましたが、開幕戦の売り上げ(約5億円)は昨年に比較して2億円近く落ちたそうです。今週のサッカーダイジェストの記事には「試行錯誤をつづけるなかで、必ずや人気回復にもつながるはず」と書いていますが、やはり出発点から間違っているのではないかと言う気がしてなりません。

そもそもこのtotoがJリーグ人気のアップにつながったのかどうか、と言うとどうなんでしょう?確かにスポーツ新聞などで取り上げられることは増えたかもしれませんが、だからと言って観客増につながった、とはとても思えません。toto導入が議論されていた98年前後は確かにJリーグ人気に陰りが出てきた、と言われていましたが、その後状況が変わったのは別にtotoのおかげではない。むしろワールドカップの開催や降格と昇格の争いなど、サッカーそのものの魅力が浸透してきたから、と言って良いのではないでしょうか。

またスポーツ関係への助成に使われる、と言うお題目もどうだったか。toto導入の最初の年こそそれなりの助成が行われたそうですが、昨年は売上減からかなり助成が削られた、と聞いています。スポーツ関係への助成は「公共の福祉」に属するもの。つまり本来なら税金から手当てして当然のもので、それをtotoの売り上げに依存させると言うやり方はおかしいでしょう。

更にギャンブルとしての側面はどうか。確かに資料を集め、勘を働かせ、それによって億単位の儲けが入る可能性は魅力的でしょう。でも冷静に考えると、儲かる可能性は配当金を売り上げで割った割合(期待値)で決まります。totoの場合、その期待値は47%。競馬などの期待値は75%だと言われているので、それに比べると儲かる可能性は半分近い、と言って良いのです。言ってみれば、胴元が半分以上テラ銭に取ることが分かっている賭場みたいなもの。ギャンブルとしての面白みは、競馬の半分程度だと言っても良いのではないでしょうか。

私はtotoの導入前に「反対である」との立場を表明していたのですが、それはやはりこれらの問題点と、更にtoto関連の事業が文部省の天下り先になるだろう、との懸念からです。これが本当にその通りになったのかどうか、についての検証はしていないのですが、少なくとも今のところの流れはtotoの将来が明るくないことを示しています。そもそものお題目であるスポーツ振興に使われた額(確か30〜60億円)なんて国の予算全体からすれば微々たるもの(例えば、文部科学省全体の予算の0.1%以下)なんですから、いっそのこと徹底的にギャンブルに徹するか、あるいは止めてしまった方がいいんじゃないか、と思います。

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RE: 別れの日

昨日(もう一昨日か)書いた「別れの日」と言う記事に対して、妻から「これじゃサンフレッチェを応援しなくなるかもしれない、と書いてるみたいじゃない」と指摘されました。私はこれまでいろいろなところ(このDiaryとか紫熊倶楽部とか中国新聞とか)を通じて「ずっとサンフレッチェのサポーターを続けます」と書いていたつもりだったのですが、改めて第三者的立場から見ればそう読めるのか、と思った次第。なので、ここで改めて宣言しておきます。私は京都へ行こうがどこへ行こうが、サンフレッチェと広島のサッカーを応援することを止めるつもりはありません。蛇足かもしれませんが、念のためと言うことで。

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2004/03/18

別れの日

昨日から今日にかけて、私と私の家族にとっては転機となる日でした。先日も書いたように、15年間住んだ広島県を完全に引き払って京都に住むことになったからです。昨日は荷物の積み込み。今日は「新居」への搬入。精神的にも体力的にもかなり負担が大きかったのですが、何とか無事済みました。

私は親が転勤族だったので子どもの頃から引っ越しが多く、今回が人生で16軒目の住居になります。つまり3年に一度以上のペースで引っ越ししているわけですが、それで慣れたか、と言うとそうでもないような気がします。転居には必ず別れがある。特に今回は10年近く住んだ東広島市を離れる事になったおかげで、これまでにないほど多くの人との別れがありました。しかし昔の歌ではありませんが、「さよならは別れの言葉ではなく、再び会うための遠い約束」です。「遠く離れてしまえば愛は終わる」のだとすれば、本当の恋人や友人の関係では無かった、と言うことでしょう。試練を与えられる事によって鍛えられるのは、個人の力だけではなく、人と人との関係も同じだと思います。私にとっても、広島からの転出でサンフレッチェとの関係が終わるかどうかによって、私のクラブに対する愛情が試されている、のかも知れません。

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2004/03/16

ドナドナ

今回の引っ越しは一戸建てからマンションへの、言わばステップダウン。庭などの家の周囲のスペースが無くなり居住面積も2/3になってしまいます。そのため荷物を減らさなければならないと言うだけでなく、単身赴任で使っていた冷蔵庫や洗濯機等の家財道具もダブってしまいます。そこでここ1ヶ月ぐらいは、リサイクルの大キャンペーンを行ってきました。

狙い目は、まずはこの春から入学や単身赴任などで一人暮らしを始める人。そう言う人は品物の古さなどは関係なく使えるかどうか、が重要なので、モノのクオリティには拘らずにわりと簡単に引き取ってくれます。ただ問題はタイミングで、一人暮らしが決まった時を狙ってオファーを出すのがポイント、でしょう。世の中の家電販売店やリサイクルショップはこぞってこう言うお客を狙っているので、タイミングを外すと「ああ、もう買っちゃった」と言われる可能性が高くなります。私はこれで冷蔵庫、洗濯機や電子レンジなどのいわゆる「白物家電」をうまく「処分」できました。

それに続くのは、近所の友達でしょうか。お金で売る、と言うわけにはいきませんが、輸送費がかからないのが一番の魅力です。もちろん友達なのでタダで持って行ってください、が基本なのですが、これまでお世話になったりお世話したりとお互い様なので「損をした」なんて事は全然思いません。むしろ引き取ってくれてありがとう、と感謝の気持ちで一杯です。

もちろん、リサイクルショップなどの業者による処分も「あり」でしょう。モノによっては意外に高値が付くこともあります。が、ほとんどの場合は二束三文と考えて良さそう。私も本やCDをかなり大量に処分したのですが、ほとんどのものは一冊(一枚)10円程度の値段しか付いてなかったように思います。

それでも引き取ってもらえないようなもの。例えば普通に処分したらお金がかかるようなものは、ネット経由で引き取り手を探すのがベストかもしれません。私はパイオニアのMac互換機を持っていて処分せざるを得なかったのですが、せっかく動くのに捨てるのはもったいないのでその筋の掲示板に書き込みしたら、一日で引き取り手が付きました。

そんなこんなで、今回は私の元から多くの品物が「ドナドナ」の歌とともに?引かれて行きました。それも感慨にふける間もなく、あっと言う間に。以前私はこれらの品々を「非生物学的ペット」と呼んだことがありますが、やはり生き物でないものに注げる愛情には限界があるのかもしれません。

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2004/03/15

15歳の春

今日は広島県立高校の合格発表の日。息子の友人たちの多くはこの日をドキドキしながら迎えていたようです。東広島市周辺にはいくつかの私立高校の他に今年開学する中高一貫の「広島高校」もできましたし、また広島市内の高校を受ける子どももいます。ですからほとんどの生徒は県立高校の発表前にどこかの合格通知はもらっていたようですが、それでもやはり県立を本命と考えていた多くの子どもにとっては、一つの節目を迎える事になりました。

大人と子どもの境目の、15歳の春。受験という一種の通過儀礼を経て一歩大人への階段を登っていくわけですが、その同じ年齢の森本貴幸選手が、この土曜日にヴェルディからJリーグデビューを果たした、と言うニュースには驚きました。私はダイジェストの映像を見ただけですが、とても中学を卒業したばかりとは思えないような精悍な面構え。体格的な不利を感じさせないほどのスピードとアグレッシブな姿勢で、大人の中ではっきりとした存在感を見せていました。この年頃の子どもは、成長に大きなばらつきがあるものです。だからこの活躍だけで「天才」だとか、将来を約束されているような表現はしたくはないのですが、しかし彼が見せた自分自身の価値、才能の輝きは生半可なものでは無いことは間違いないでしょう。子どもの才能を伸ばすか矯めるかは本人と、そして周囲の大人次第。彼の才能、と言うよりもその洋々とした可能性を、ぜひとも伸ばして欲しいと思います。

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2004/03/14

広島もあと3日

一昨年の11月から単身赴任生活を続けてきたのですが、それも今月で終りです。17日に家族も京都に引っ越しして、一緒に住むことになります。

私が広島に引っ越してきたのは89年。年号が「平成」になった年の4月でした。私は学生結婚で息子も就職前に生まれたのですが、その息子の最初の誕生日の前に無事広島大学に職を得て、3人で引っ越してきた、と言うわけです。最初に住んだのが広島市東区の戸坂。アストラムラインが太田川を越える祗園大橋から少し北に行ったところのマンションに、一年半ほど住みました。

その後に住んだのは、佐伯区楽々園の公務員宿舎。海のすぐ近くだったのですが、いつも静かな海で大きな波が立っているのは見たことがないような気がします。戸坂に住んでいたときも楽々園の時もご近所の人たちに恵まれて、地域の生活も子育ても楽しかった記憶が残っています。戸坂方面にはアストラムラインができ、楽々園方面には広島南道路が建設中で風景も変わりつつあるようですが、うちの家族にとっては懐かしい故郷の一つになっています。

大学が東広島市に移転してからしばらくは楽々園から通っていたのですが、94年からは東広島市の西高屋に移りました。地域振興整備公団が作った「東広島ニュータウン」に応募したら当たってしまったから、と言うのもあるのですが、ここでの生活もいろいろと楽しませてもらいました。息子はここの小学校・中学校に9年間通いましたし、妻もここで仕事を広げていろいろな経験をさせてもらいました。私は、と言えば町内会のソフトボールチームに入れてもらって、いろいろと楽しませてもらいました。

結局、広島に住んだのは15年間。私は19になる春に生まれ故郷の福島を離れたので、これに次ぐ期間を広島で過ごしたことになります。20台後半から40台の初めに至る、人生の中で最もアクティブな時代を過ごした広島は、私にとってある意味福島以上の「故郷」になったように思います。それは石川県で生まれた妻も、千葉県生まれの息子も一緒。そんな第2の故郷広島を忘れないために、これからも全力でサンフレッチェをサポートしていきたい。そしていずれはまた、広島に戻ってきたいと思っています。

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2004/03/12

鳥インフルエンザなんてこわくない〜越南河内紀行(6)

ベトナム滞在中に、ハロン湾へのツアーに行ってきました。ハロン湾は鏡のように静かな海に2000もの島が点在する景勝の地で、「海の桂林」とも言われていて世界遺産にも指定されています。ハノイ市内には多くの旅行代理店があってハロン湾ツアーの企画を出していて、安いのだと1泊2日で2,000円程度のものからあります。私は時間的余裕が無かったので、5人でミニバスをチャーターして行ってきました。貸し切りバスと貸し切りの船、英語を話すガイド付き、その上昼食付きのツアーだったのですが、それでも一人当たり5,000円弱。ハノイからハロン湾まで三時間あまりのドライブで結構疲れるのですが、ハロン湾の美しさ、鍾乳洞の壮大さ、シーフードの美味しさ等々、十分に5,000円分以上の価値のあるツアーでした。

このツアーの途中で、バスはお土産屋で途中休憩します。ツアーの途中で土産を買わされると言うのは良くあるパターンなので、「土産を買うな」指令を受けていた私は覚めた目で見ていたのですが、しかし行ってみたらこれがなかなか。障害者が作ったものを販売する施設だとのことだったのですが、見たところその障害者とは枯れ葉剤の被害者が大半だ、との印象を受けました。枯れ葉剤、とは要するにダイオキシンで、緑を枯らしてゲリラの隠れるところを無くしてしまおうと言う米軍の化学兵器です。強い催奇性を持っていて、今でも多くのベトナム人が後遺症に苦しんでいます。

その場で私はそういう知識が蘇って「何か買おう」と言う気になったのですが、それ抜きでも確かに安くて買う価値があると思った、と言うのは昨日書いたとおり。そこでまず刺繍の絵やコースターなどのハンドメイドの品物を買い、船の上で真珠のアクセサリーを買い、帰りにも土産を買ってだいたいOKかな、と思っていました。ところが帰りの飛行機に乗るためのハノイのノイバイ空港では、ベトナム土産が非常に安い(少なくともハロン湾ツアーの途中より安かった)、と言うことが分かってまたもや買ってしまいました。うーむ、ベトナム恐るべし。土産なんか買うまい、と思っていた私でさえ思わず買ってしまうぐらいですから、最初から買い物目的の人にとっては天国みたいなところなのかも知れません。

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鳥インフルエンザなんてこわくない〜越南河内紀行(5)

海外出張に行った時などには当然親戚や近所の人たち、勤務先でお世話になっている人にお土産を買ってくるわけですが、実を言うと普段は結構面倒だな、と思ってたりします。どうせあげるなら喜んでもらえるものを、と思うわけですが、そう考えると選ぶのもなかなか難しい。特に実の両親がなかなかの難物で、定年後の悠々自適の生活で欲しい物があれば自分で買うし、もともとあまり物をもらって喜ぶタイプじゃないのです。そんなわけで、海外でショッピングを楽しむ、と言う感覚はあまりなくて、かえって面倒だと思うこともありました。

ところが今回は、妻も子も「お土産はいらないから」と言うのです。折しも出発は、ベトナムで鳥インフルエンザが人に感染した、と言う話が出ていた頃。変な物を買ってきて何か感染するようなことがあったら困る、と言うわけです。

そんなわけで、買い物が苦手な私は安心して?ベトナムに行っていたのですが、結局はそうはなりませんでした。だって、あまりにも安いと思ったから。日本ではとても作れない(あるいは非常に高くなってしまう)ような刺繍、象嵌などの手作り品、真珠などの宝石類が、非常に安い値段で売っているのです。私はもともとそういう物に対する見る目は無い方なのですが、それでも思わず財布の紐が緩んでいて、いつの間にかいくつかの品を買ってしまっていました。その上「買ってこなくていい」と言っていた妻も品物を見て喜んで、こんなに安くていいものだったらもっと買ってきたらよかったのに、と言い出すほど。色々な人が香港や台湾などに「お買い物旅行」に行きたくなる気持ちが、分かるような気がしてしまいました。

最近は日本でもベトナム等のアジア系の雑貨が流行っているそうですが、確かにこれらの品は暖かな雰囲気があります。多くの日本人が失ってしまった、アジア的な美しさと暖かさ。この感覚は、もしかすると中国や南国からの渡来品を重宝した、古代日本人の感性が蘇ってくる、と言うことなのかも知れません。このへんをもっと深めてみたい。そのためには次は家族で行ってみたい。そんな感想を持ちました。

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2004/03/10

やっと終了

だいぶ前から懸案だった国際会議が、無事終わりました。思ったよりも多くの人に参加してもらい、なかなか良い雰囲気の会議でした。疲れた、と言っても肉体的にはたいしたことはなかったのですが、いろいろ気を使ったのが大変だったように思います。

終わったと言えば、ベトナム出張もほぼ終わった、と言って良いかも。滞在中からお腹の調子が良くなかったのですが、帰国後もずっと下痢が続いていました。入国時にはちゃんと検疫を受けてコレラ、赤痢、食中毒などに罹っているのではないと言う事は確認していたのですが、にも関わらずなかなか良くならず。もともとお腹が弱いのですが、それにしてもなかなか良くならなかったので先週医者に行ってきました。いわゆる「食あたり」と言う診断で、腸内の菌を殺す薬を飲み、それで良性の常在菌まで死んでしまうのを補償するための薬を飲み、腹痛対策の漢方薬も飲んで、やっと今日あたりから普通になってきました。

下痢、と言えば、五輪予選のためにUAEに行っていた選手達も多くが下痢に悩まされていたそうです。代表選手は庶民とは違い、体調を崩さないように万全のサポート体制で行っているはず。身体のケアなども十分にされているのに、それでも悪くなるというのはよっぽどのことなんでしょう。この事実は、逆にどんなに気をつけてもお腹を壊すことはある、と言うことなのだと思います。下痢程度なら気にしない、と言うぐらいのゆったりした気持ちでいたほうが、精神的には良いのかもしれません。

と言うことで、やっと時間的・精神的な余裕も出来てきたので、明日あたりからまたベトナムのはなしの続きを書きたい、と思います。

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2004/03/09

複雑流体とは

昨日からやっている会議は「複雑流体の国際会議」と言うものです。流体、とは文字通り「流れる」もの。水や油や空気など、手などを入れて動かす事ができるものはぜんぶ流体です。そして複雑流体とは何かと言いますと、一言で言えば「単純流体でないもの」です。「水」は水分子だけで出来ているから単純流体。飲んだら酔っ払うエタノールも、純粋なものは単純流体です。ビールは水、エタノールの他に色々な成分が入っていて、グラスに注ぐと泡まで立ちますが、物理学的な立場からいえば「単純流体」と言って良いものです。

その一方で、世間にはその枠には当てはまらないものも普通に使われています。例えばマヨネーズ。半透明で見た目にも水などとは全然違いますが、容器を逆さにしてもすぐに出てこないほどドロドロしている他、単純でない性質もいろいろと持っています。この性質がどこから来ているかというと、水(酢)と油(サラダ油など)が卵の力でほぼ均等に混じり合っているから。こう言う混合物を「エマルジョン」と言うのですが、この仲間には化粧品やペンキなども含まれます。単純でない流体は、それがゆえにいろいろと役に立つ性質を持っているわけで、これらの振舞いをどのように物理学の立場から理解するか、と言うことが、今回の会議のテーマなのです。

生命を司る細胞などのパーツもまた、一種の複雑流体です。従ってこれらの性質を明らかにすることは、将来的に生命の本質を明らかにすることに繋がるかもしれません。物理学、と言うと素粒子論や核物理、あるいは宇宙に関することが脚光を浴びることが多いのですが、今後は今まで化学や生物学の対象とされてきた分野が、物理学の対象となっていく流れがある、と私は思っています。

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2004/03/08

ちょっと忙しい

今日から地元で自分が世話人になっている国際会議が始まったので、一日中忙しくて時間が取れません。終了する10日までWeblogの更新ができるかどうか微妙なところです。

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2004/03/07

幸運の遺伝子

ベトナム話のネタはまだあるのですが、飽きた人もいるんじゃないかな、と思うのでちょっと寄り道。

昨日のアテネ五輪予選のUAE戦ですが、宇都宮徹壱さんの「運とフィジカルと精神力の強さがもたらした勝利」と言うのはまさにその通りだと思います。あれだけ決定的ピンチがありながら無失点で凌いだことや相手が怖い選手を交代してくれたことは運が良かったと言って間違いないし、そのおかげで勝利を手にすることができた、と本当に思います。

この「運」と言われるもの。あんまり重視しすぎるとオカルトになってしまうのですが、それにしても人生のあらゆる局面で運の良し悪しが出てきます。SF作家のラリイ・ニーヴンは代表作の一つ「リングワールド」の中で、人類の特質として「運の良さ」がある、と言う話を作っています。その幸運の情報は遺伝子(「ティーラ・ブラウンの遺伝子」と名付けられていた)に組み込まれていて、どこかに完璧に幸運な一族がいる、と言う話でした。確かに人類の、有機物のスープの中から生命が誕生し、単細胞生物から多細胞生物に進化し、知性を持って文明を作るに至ったと言うプロセスは、必然を越える偶然があったとしか思えないものがあります。ある個人が、民族が、国家が。あるいは人類全体が幸せになれるかどうかは、確かに「運」と言う名の何らかの偶然に支配されているような気がしないでもありません。

ただ、だからと言って幸運を期待して何もしないでも良いか、と言うとそんなことは無いでしょう。U-23代表が運を引き寄せて勝つことが出来たのは、単に座視して待っていたからではなく、それに向けて全力で準備して戦ったからです。運をつかむ前提として、「フィジカルと精神力の強さ」があったのです。「天は自ら扶ける者を扶く」と言いますが、努力があってこそ幸運が付いてくるものです。ティーラ・ブラウンの遺伝子が本当に存在するのかどうかは分かりませんが、少なくともそれは「努力する」と言う特質を持つ遺伝子とセットになって発現するのではないか、と言う気がします。

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2004/03/06

鳥インフルエンザなんてこわくない〜越南河内紀行(4)

ハノイに着いた次の日、ホー・チ・ミン廟とその周辺を訪ねてきました。ホー・チ・ミンは、ベトナム建国の父。第二次大戦中にはベトミンを率いて反仏抗日戦を指導し、独立とともに大統領や首相を務めるなど、ベトナム共産党と政府の最高指導者としてベトナム社会と国際政治に重きを成した人物です。ホー・チ・ミン廟には彼の遺体が安置されていて、今でも多くの国民や観光客が訪れています。

このホー・チ・ミン廟に入れるのは午前中だけ。それも何人かがひとまとめになり、列を作って廟の中を通って見る事だけが許されています。写真撮影はもちろん、立ち止まることも禁止。サングラスや短パン、サンダル等の軽装で入ることも禁止です。蓮の花をかたどった、と言う建物はがっちりとしていて重々しく、多くの兵士が警備していて厳粛な雰囲気に包まれていました。

この廟の隣には、ホー・チ・ミンが生前に住んでいた「官邸」が残っています。ベトナムの伝統的な木造の小さな建物で、開けっぴろげで飾り気がなく、国民に「ホーおじさん」と呼ばれて親しまれた人柄が偲ばれる、と言う雰囲気でした。

更にその隣には、ホー・チ・ミン博物館があります。1990年にホー・チ・ミンの生誕100年を記念して作られたそうで、ホー・チ・ミンの生涯に関わる資料だけでなく、関連する世界史的な資料やアート(例えばピカソの「ゲルニカ」のレプリカなど)が展示されていて、私が想像していた「博物館」とは少々趣の違ったものでした。

これらのホー・チ・ミン廟と博物館は旧ソ連のレーニン関連施設と同じモチーフだそうで、特に博物館はレーニン博物館の設計者の手によるものだとか。西欧的な展示物を見慣れた目には、なかなか興味深いものがありました。ただ、その一方でやや危うさを感じたのも確か。社会体制と結びついた個人崇拝は、その体制がひっくり返った時に必ずそのシンボルとして憎しみの対象とされる、と言うのはレーニンやフセインの像が破壊された事から見ても分かります。ベトナム国民を「自分の子供たち」と呼んだホー・チ・ミンは、ひょっとするとガラスケースの中で「できればそっとしておいて欲しい」と思っているように思えてなりません。

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2004/03/04

鳥インフルエンザなんてこわくない〜越南河内紀行(3)

ベトナムの街を歩いていると、「COM」や「PHO」と書いた看板をしばしば目にします。「COM」とは米飯、「PHO」とは米麺のこと。すなわち、ご飯や麺類を食べることができるお店、と言う意味です。店、と言うよりは屋台と言った方がいいような雰囲気で、間口の狭いお店からテーブルや椅子が道端まではみ出していて、食事時になると多くの人々がここに座って食べています。ベトナムではこれらのお店が多くて安いので、旅行者ではない普通の人でもよくこれを利用して食事を済ませることが多いとのこと。お皿に盛られてたくさん並んだ料理も、食事時の数時間ですっかり無くなってしまうそうです。

と、そのような話をベトナム訪問前からガイドブックで読んで知っていたので、到着の次の日に早速試してみよう、と思いました。街をぶらぶらと歩きながら良さそうなところがあったら入ろう、と思っていたのですが... うーん、さすがになかなか勇気が出ません。こちらが言葉が分からない、と言うこともあるのですが、それよりもどう見ても汚いと言うか何と言うか... とにかくなかなかこの店に入ろう、という気が起きなくて、うろうろと歩き回る事になってしまいました。そうこうするうちに時間は刻々と過ぎて、もうすぐ1時と言う時間になっていきます。お店を埋めていた人たちもだんだん数が少なくなり、私自身もお腹は減るし足は疲れて棒のようになってきます。そしてついに根負けして?、お客がいなくなって暇そうにしていたフォー売りの女性に声をかけてみました。

声をかけた、と言っても英語は通じないので、結局は身振り手振り。白っぽい麺を指差し、ゆでてくれと頼み、もやしや香菜等のトッピングを頼みます。小さな子供を連れた店主は誠実な感じで対応してくれて、店先に積んであった器から綺麗そうなのを選んでスープを入れ、麺をゆでて入れてくれました。そしてその間、しきりに何らかの内臓を指差して「これも入れるか?」と勧めます。でもさすがにこれはやばいなー、と言う感じがしたので断って、野菜のみが入ったフォーを作ってもらいました。値段は4000ドン。レートは1円が130円ぐらいなので、日本円にするとわずか30円ほどです。おそるおそる?口にしたのですが、これがなかなか旨い。味だけなら、宿泊していた五つ星のホテルの料理にも決してひけを取らない、とまで思いました。この時はフォーを食べただけで終わったのですが、次はコムも試してみたいな、とも思いました。

しかし残念ながら私の滞在中に、「次」はありませんでした。その理由の一つは、出張の目的だった国際会議には食事が付いていたから、と言うのがあるのですが、しかしもう一つはやはり衛生面での心配です。鳥インフルエンザは食べ物からうつることはない、と言うのでそれに関しては安心していたのですが、その他にも怖い病気はたくさんあります。実際、私もベトナム滞在の3日目ぐらいからだんだんお腹の調子が悪くなり、いまだに本調子には戻っていません。幸い空港での検疫の結果、コレラや赤痢、食中毒への感染は無かった、と言うお墨付きはもらったのですが、しかしだからと言って安全だったかと言うとそうでもなかったかも。もし次にベトナムに行く機会があっても、そのときには冒険はほどほどにしようかな、と思っています。

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2004/03/03

鳥インフルエンザなんてこわくない〜越南河内紀行(2)

ベトナム料理はおいしい、と言うのは行く前から良く聞いていた言葉なのですが、実際行ってみて確かに日本人に合う味だ、と実感しました。東南アジアの料理というと、すぐに思い浮かぶのはタイ料理。トム・ヤン・クンに見られるようにスパイスが強烈に効いていて、南国らしいエキゾチックな味が多いと思います。

ところがベトナム料理、特に北部のそれは辛くもなくニンニクがきいているわけでもなく、至極あっさりした味です。ベトナム人が朝食に食べるフォー(米で作った麺)の汁は豚骨などでダシをとっているらしいのですが、とてもそうは思えません。むしろヌクマム(魚醤)の味が勝っていて、微妙な魚のにおいとコクのある塩気は「鰹節+醤油」を思わせるものがあります。このヌクマムの味はほとんどの料理のベースになっているのですが、ベトナム人はこれらの料理に様々な付けダレを付けて食べるのが普通なので、最初からあまり強い味付けはしないのだろうと思います。そしてそれが、鰹節やイリコ等の魚を原材料としたダシ汁と醤油をベースにした日本人の味覚にマッチするのではないでしょうか。

そういう目で見ると、ベトナムと日本との類似点もいろいろと目に付きます。まず、国土が南北に細長いこと。海に面していて3260kmにも及ぶ海岸線を持つこと。4分の3が山岳地帯であること。米を主食とし、魚やイカ、エビなどの海産物もよく食べること。そして中国からの文化的な影響を受けていること。そう言えばベトナム人の顔は「南国系」でも「モンゴル系」でもないちょうど中間的な雰囲気で、見た目は日本人に非常に良く似ている感じがします。ベトナム人は漢民族が進出する以前に揚子江の南に済んでいた百越が起源だ、と言う説があるそうですが、その百越は日本の基層文化の形成に大きな影響を与えた、と言う話もあるらしく、もともと同じ民族を祖先として持つのかも知れません。もしそうだとすれば、日本人がベトナムの料理に親しみを感じるのも当然、なのかも知れません。

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2004/03/02

鳥インフルエンザなんてこわくない〜越南河内紀行(1)

ベトナム、特に都市部を訪れた外国人なら誰でも思うのは、そして実際に私が思ったのは、「道路の凄さ」でした。無数のバイクが流れを作り、自転車がそれに加わり、これらをかき分けるようにして自動車が進みます。追い抜き、割り込み、車線オーバー、逆行。その上1台に3人どころか4人乗っている場合もあり、日本であれば即座に交通違反で捕まりそうな事ばかり。他人が運転するクルマに乗せてもらうだけでも強い緊張を強いられます。中国を流れてきた紅河はハノイを貫いて流れて海に注ぎ込む(だからハ=河、ノイ=〜の中と言う名前が付けられ、実際に中国語によるハノイの表記は「河内」です)のですが、その悠々とした流れよりもむしろ芭蕉の「五月雨を集めてはやし最上川」と言う句がふさわしい感じで、発展しつつあるベトナムの活気を写し込んだような激流です。ベトナムはバイクが多い、と知識では知っていたのですが、ここまで凄いとははっきり言って想像の埒外でした。

この中で歩行者は明らかに少数派。ベトナムには「歩行者優先」の思想はないらしく、人がいようがどうしようが気にせず(もちろん、ぶつからないように気をつけてはいるのですが)バイクもクルマも走って行きます。人はこの流れに飲み込まれないようにして道を渡るわけで、慣れない歩行者には至難の業。私のようなベトナム初心者は、たまに来るクルマとバイクの切れ目を待って渡るのが精一杯で、それもまさに命懸け、と言う感じでした。

ものの本によると既にベトナム戦争中から、安く(クルマに比べて)、場所を取らず、なおかつ家族や荷物を運ぶことの出来るバイクは貴重な輸送手段として広く使われていたそうです。かつては古いスーパーカブが重宝されて(だからバイクのことを一般に「ホンダ」と呼んでいたらしい)いましたが、今やスズキもヤマハも結構たくさん走っています。そして古いバイクだけでなくスタイリッシュなスクータータイプも目にします。そのためこれも貴重な移動の手段だったシクロ(自転車の前に座席を付けたような乗り物)は、すっかり観光客向けになってしまったそうです。しかしその一方で、今やクルマの時代に向かいつつあるとのこと。4、5年前にはほとんど目にすることの無かった自動車の台数が増えて(実際、年式が4年以内らしい新しいクルマが非常に多かった)来ているそうです。ベトナムはまさに今、モータリゼーションの中にある、と言って良いように思います。

ところがこんな状態でも案外交通事故は少ないそうで、実際に私は1週間のうちに一度も事故を目にしませんでした。日本でも免許を取るときは「防衛運転に務めよ」と教えられる(つまりいつでも最悪の事態を想定して運転しろ、と言うことでしょう)わけですが、ベトナムの人々は最初からそれが出来ている様子。側道からバイクが出てこようが前から別のバイクが逆行してこようが慌てない、と言うわけです。私は滞在の最後の日に現地で知り合ったベトナム人のバイクの後ろに乗せてもらっていろいろ走ってみたのですが、確かに見た目ほど危ないと言う感じではありませんでした。

ベトナムはソ連や中国などと同じ社会主義国です。しかし開放政策「ドイモイ」のおかげか、規則でがんじがらめしている国ではないようです。そんな中で国民は、人と人との繋がり、あるいは信頼関係をベースにして、うまく折り合いを付けながら生活しているように見えました。ベトナムの首都の喧噪の中で、「鳥インフルエンザよりも道を渡る方が怖いな」と思いながら、私はそういう事を考えていました。

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2004/03/01

鳥インフルエンザなんてこわくない〜越南河内紀行(0)

1週間ちょっと行っていたベトナム・ハノイへの出張から、土曜日遅くに戻ってきました。帰国するといろいろと「雑用」が待っていてまだブログを書く余裕はあまりないのですが、そろそろ復活させたいと思っています。

鳥インフルエンザが世界的に流行し、特にベトナムでは人に感染して死亡者も出た、と言う話。そんな中、さすがに怖いなー、と言う気持ちを抱きながら(そして周りの人を心配させながら)行ってきたわけですが、帰って来てみればむしろ大騒ぎしているのは日本の方でした。あちらでは既にほとんどの鶏が処分されていて鶏肉を食べることも、また卵を食べることもできなかったぐらいだったのですが、逆に京都では2万羽の鶏が死んだだけでなく出荷までされていたことが分かったとか。鳥インフルエンザが怖かったのはむしろ日本の方じゃなかったの?と言いたくなります。しかし、だからと言ってベトナムが何ともなかったか、と言うとそうでもなく、いろいろと面白い体験をしてきました。アメリカやヨーロッパには何度も行ったことがあったものの、東南アジアはほぼ初心者の私が何を見、何を感じてきたか。これから何回かの「連載」で、書いていきたいと思います。

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